躁鬱がひどい時に書き込むnote

 醜い。実際に自分に生きている価値なんてあるんだろうか?頭も悪ければ顔も体も醜い。でも価値ってなんだろう。顔が良ければ認められるのか?でもまぁ少なくとも頭が良ければ多少重宝されるだろうな。結局のところ自分が悪いんです。心のどこかにあるプライドが自分の生き方を否定している。それは悪いことではないはず、理想を追い求めることは向上心につながる。でもだめなんです。その理想が果てしなく遠く、それまでにある娯楽に逃げ込み辿り着けない自分に嫌悪する。


ひどい。


 私は私の愚かさで滅んでいく。何もできない。何もしたくない。シンジ君だってそう言ってたし。逃げ続けた結果がこれか。決して逃げばっかりの人生ではなかったと思う。時には挑戦をしたし苦難だって乗り越えた。

でも結果がこれだ。

 メンヘラで躁鬱でストレスもたくさんあって自分に一切の自信がなくただただ溶けるだけの妄想して血の袋でしかない。どうでもいいけどこういう言い回しできるのかっこいいよね。聖書とか読んだ方いいんかな。

 精神がおしまいになってきました。理由はありません。多分。吐き気がすごい。この存在しない心の吐瀉物を体から吐き出そうとしている。しかしながら吐き出されるのは空虚なものだけ。人生のよう。いくらか吐き出せば気が楽になったのでしょうがプライドが邪魔をして誰にも吐くことができない、迷惑だしね。自分の人生に精一杯なのに、他人の人生の手助けをしてもらおうだなんて烏滸がましい。許してくれ。どうしようもなく生に惨めに縋り付きたいんだ。どうして?生きる価値なんてないってわかってるくせに。怖い。怖いのが嫌いなんだ。生物として死は逃れない。いや決して消えるのが怖いんじゃない。その過程が怖いんだ。怖い。立ち直れない。誰も支えてくれない。そりゃそうだ。満たされない心。なぜか。心という器の底がないからです。決して大きいというわけではなく、そこが壊れたから。何を入れたって満たされるわけがない。底が無いんだから。何をしたって意味がないと諦め、そのおかげで糧になるようなこともできず、自分の価値をただただ下げていく。親とは仲があまりよろしくありませんでした。両親はいましたが、仲が悪く話しても怒られるだけと思い何も話さず、彼方からきても何も話しませんでした。なぜかというと、あらゆる出来事に干渉してくる毒親でした。それが怖かった。もう怒られた時やヒステリックになった記憶しかないですが、高校の時に本当に消えてしまおうと考えた時、一筋の希望を抱えて相談したことがあります。返答はめんどくさそうに「頑張れ」だけでした。それ以降の記憶はありません。もう他人としか見えず、顔をみてもぼやけて見えるようになりました。いまだにね。ああ、親には感謝しなさいと言いますが、自分はできません。子供のままなんでしょうね。これを読む人は大事にしてください。自分にはできなかったことができる人は羨ましい。皮肉じゃないよ。好きな人がいました。でも私は一歩を踏み出せず、ただただなあなあで話してた結果、飽きられてしまいました。愚かですね。愚か。愚。心の支えはありません。もう二次元に恋もできません。無です。生きる希望がありません。いや、作ろうとしないだけ。作ればいいじゃん。作れません。もう心がズキズキする。ああ、もうおしまいなんだ。厳しいなぁ。生まれた意味なんてないのにそれを求めずにはいられない。もうだめなんですよきっと。多分もうだめなんです。やりたいこともやらなくていいことも全部やった気がする。失格。普通ではなくなってしまった。ああ、もうおしまいなんだ。太宰治のように知的に自分の心を曝け出したかった。私はわたしの愚かさで腐っていく。



この劣情を抱えながら生きていくしかないです。

地獄を愛して生きなければいけません。

罪ですから。

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