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十日町市斎場と十日町市旧火葬場跡

津南斎場を訪問したあと、自動車で30分ほどの十日町市斎場を訪れました。ところが・・・・一転にわかにかき曇り、雪が吹き付ける悪天候になりました。十日町市には以前に9年間住んでいたので、こうした天候の変化には慣れっこなのですが、写真撮影が心配。

十日町市斎場 概要

十日町市斎場は十日町市南鐙坂(みなみ あぶさか)にあります。
国道253号線(上越市-南魚沼市)を十日町市から上越方面へ走り、鐙坂トンネルを抜けたあと、次の名ヶ山(みょうかやま)トンネルの入り口近くに、「十日町市斎場」という標識が建っています。

十日町市斎場入り口
十日町市斎場 正面
十日町市斎場

私は2000年(平成12年)の春まで十日町市に住んでいたのですが、その頃はまだ後述の旧火葬場が使われていました。できてからまだ20年ほどしか経っていない新しい斎場です。

駐車場隅にある六地蔵と石仏

駐車場隅にある六地蔵と石仏。旧火葬場から移転されたものかもしれません。

十日町市斎場 建物右手から

雪のため、あまりきれいな写真が撮れませんでした。「雪と着物の町」十日町市にふさわしい写真と言えばそれまでなのですが。

十日町市旧火葬場

十日町市旧火葬場は十日町市高田町、十日町橋のたもと近く、信濃川の堤防の近くにありました。旧式の小さな火葬場でした。
国土地理院の空中写真で周辺の様子を見てみます。

1968年5月25日撮影

1968年(昭和43年)5月25日撮影の空中写真を見ると、すでに旧火葬場の建物が写っています。左側を流れている川は信濃川です。
それより前、1947年頃(昭和22年)にアメリカ軍が撮影した空中写真では、このあたりは一面の水田だったので、戦後に建てられた火葬場だったことが分かります。

1976年11月2日撮影

1976年(昭和51年)11月2日撮影の空中写真には、くっきりと旧火葬場が写っています。
左下の白い平屋根の建物は石材店。右上の建物は廃棄物処理場です。

2004年10月24日撮影

2004年(平成16年)10月24日撮影の空中写真を見ると、建物は撤去され、更地になっているのが分かります。
ちなみにこの写真撮影日の前日23日の夕刻、十日町市・小千谷市・北魚沼郡・長岡市・見附市一帯をマグニチュード6.7、最大震度7の強い地震が襲いました。新潟県中越地震です。死者68人、住宅全壊3,174戸の大きな被害が出ました。新潟県ではこの大きな被害を記憶にとどめるため、「中越大震災」と呼んでいます。
つまりこの空中写真は、中越地震翌日の撮影です。

2005年6月6日撮影

前の写真の7か月ほど後、2005年(平成17年)6月6日撮影の空中写真です。わずか7か月ほどで周辺が大きく様変わりしています。
旧火葬場跡には大きな倉庫が建てられています。

旧火葬場跡を訪れたのですが、みごとに何も残っていませんでした。どこかの会社の物流基地になっているようです。差し障りがありそうなので、跡地の写真は撮りませんでした。周辺の写真を載せておきます。カメラの電池が切れたので、携帯カメラからの撮影です。画質がよくありません。

旧火葬場跡周辺

旧火葬場は外から見たことがあるだけで、中に入ったことはありません。前にも書きましたが、旧タイプの小さな火葬場でした。
ただこの火葬場からは、十日町市で暮らしていた頃の縁がある人が何人か、冥界に旅立たれています。

火葬場跡というのは、たしかに一種の忌み地かもしれません。施設を完全に撤去してしまうのも分からなくもありません。でも、小さな供養塔や慰霊碑も残さず、「なかったこと」にしてしまうのは、一抹の寂しさをおぼえます。

<2023年12月17日 訪問>

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