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小千谷市塩殿火葬場跡

十日町市斎場と十日町市旧火葬場跡を訪れたあと、降りしきる雪の中を自動車で30分ほどの小千谷市塩殿火葬場跡をめざしました。

今から13年前の2010年(平成22年)の冬、小千谷市塩殿の某学校に仕事で行きました。
・・・・と、その入り口に「火葬場」という標識が立っています。「へぇ、こんな学校のすぐ近くに火葬場があるんだ・・・・」と思いましたが、当時は訪問するのがはばかられ、行かないままでした。
今回、noteの記事を書くにあたり、「何かの遺構が残っているかな-」と思って、訪問してみました。

塩殿火葬場跡(?)へ・・・・

十日町市から国道117号線を北上して小千谷市に入り、関越自動車道の越後川口ICをめざします。緩い上り坂を走っていると、右側に学校の看板が見えてきます。
その看板を右折すると「上飯野霊園入口」という標柱が立っているので、細くて狭い山道を登ります。坂を登り切ったところが、上飯野霊園です。

学校への道 標柱を目印に右側の細い道を登ります
「上飯野霊園入口」の標柱

2011年はこの標柱が「火葬場入口」という標柱でした、たしか・・・・

上飯野霊園への細い道

上飯野霊園は、塩殿集落の墓地なのでしょう。河岸段丘上の平坦地の一角に墓地が広がっています。

上飯野霊園 入り口から
上飯野霊園 ほぼ全景

霊園の入り口近くに、ブロックを積み上げた小さな建物が建っています。「火葬場跡の遺構かな?」と思って近づき、写真撮影をしました。

ブロックで出来た気になる建物 となりには六地蔵と石仏
気になる建物

気になる建物は、中は太い木の柱3本で支えられています。荷物運び用の一輪車とビニールシートに覆われて小さな除雪機が収納されていました。
旧火葬場の遺構のような、そうでないような・・・・

建物のそばには六地蔵と石仏

すぐ近くに六地蔵と石仏があるからには、この建物が旧火葬場の遺構とも思えるのですが・・・・
それにしては、建物に煙突のあったと思しき痕跡や、そこをブロックでふさいだ跡が全くないのが気になりました。

六地蔵のとなりには「上飯野霊園」と記された石柱を備えた、大きな五輪塔があります。
五輪塔のとなりには上飯野霊園の由緒を記した墓誌が建っていました。

大きな五輪塔
上飯野霊園の由緒を記した墓誌

墓誌には「西光寺関係の墓地は、昭和53年に関越自動車道の用地となったため共同移転することになり、墓地委員会を組織して、この地を新たに霊園とすることになった。先祖代々の墓地を移転することは物心両面の難事だったが、関係者の熱意と協力で完成を見た(大意)」と記されています。
墓誌の最後には「昭和55年8月吉日」と移転作業が公式に完了した日にちが記されています。
昭和後期に出来た新しい霊園だったのですね。
最後に大きな五輪塔の脇から霊園への入り口方向を撮影して、上飯野霊園を後にしました。

大きな五輪塔の前から上飯野霊園の入り口方向を見る

雪もいつの間にかやんで、晴れ間がのぞいていました。
これでめでたしめでたし・・・・とはならなかったのです。

空中写真で塩殿火葬場跡を探ると・・・・

家に帰ったあと、国土地理院の空中写真で塩殿火葬場がどこにあったのかを調べてみました。2010年に「火葬場」という標識があったのは覚えているので、上飯野霊園のどこかに火葬場跡があるのはほぼ確実ですが・・・・

① 1975年7月26日撮影

1975年7月26日撮影の空中写真を見ると、今の上飯野霊園の入り口あたりに、小さな小屋のようなものが建っているのが確認できます。
ひょっとしたら、これが火葬場なのかも?

② 1976年9月19日撮影

1976年9月19日撮影の空中写真には、今の上飯野霊園のあたり、1975年撮影の空中写真に小屋のようなものが写っていた場所に木立が見えます。気になる小屋もあるようなないような・・・・
ちなみに、今の上飯野霊園のある場所は、畑として利用されています。
小千谷市や十日町市、津南町に発達している河岸段丘は大河・信濃川が長い年月をかけて作り上げた地形です。河岸段丘上は水はけがよすぎるため稲作には向かず、畑作が行われています。

③ 1984年6月12日撮影

1984年6月12日撮影の空中写真を見ると、①の写真に写っていた小さな小屋が建っているのが確認できます。上飯野霊園もすでに移転完了して、墓石が建ち並んでいます。
ということは・・・・今回撮影したブロックを積み上げた小屋は、塩殿火葬場の遺構ではなかったのですね。
つまり・・・・昔の火葬場は上飯野霊園の入り口にあったようです。ちなみにそこは、今は畑として利用されていました。

昔の火葬場のあったあたり(推測)

<教訓>
当たり前のことですが、現地訪問をするときは、記憶を頼りにするのではなく、地図とか航空写真でおよその目星をつけてから訪問するのがよいですね(当然)。

これから冬に入るので、小千谷市は4月下旬ころまで雪に閉ざされます。
春になるのを待って、塩殿火葬場跡に再訪してきたいと思います。

中越大震災の爪痕

今回、現地確認のためにもう1枚の空中写真をダウンロードしていました。撮影日は2004年(平成16年)10月24日。中越大震災の翌日です。
十日町市旧火葬場で使った空中写真にも同日に撮影された空中写真がありました。中越大震災の被害状況を調査するために国土地理院が撮影した空中写真だったのです。

2004年10月24日撮影

中越大震災で起きたすさまじい土砂崩れ、土砂で埋もれてしまった道路が鮮明に写っています。
霊園近くにある学校は避難所となっていたのでしょうか。校庭に自動車がたくさん止まっているのが写っています。

中越大震災の時は、地震直後の夜にひっきりなしに大きな余震が襲ったこと、翌24日は雲一つない快晴だったこと、翌年の4月、震災から半年後に小千谷市、十日町市を訪れたとき、土砂崩れで山の形が変わってしまっていたことを思い出しました。

<2023年12月17日 訪問>

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