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【鳥取県東部(因幡)の火葬場訪問・4】鳥取市の旧丸山火葬場跡

現在、鳥取県東部の火葬は因幡霊場で行っていますが、大正時代から昭和40年代にかけての火葬は、鳥取市郊外の丸山というところで行っていました。その、昔の鳥取市の火葬場を訪ねました。

鳥取市の概要

鳥取市は鳥取県の県庁所在地です。市制施行されたのは1889年(明治22)と古い歴史があります。2024年7月1日現在の人口は182,483人です。
1570年代 戦国時代末期に当時の因幡守護・山名豊国によって布勢天神山城から守護所が移されました。1581年(天正9)には織田信長の命を受けた羽柴秀吉(豊臣秀吉)に攻撃され、悲惨な兵糧攻めを体験しています。
江戸時代は鳥取池田家32万5千石の城下町として栄えました。
昭和に入り、1943年(昭和18)鳥取大震災、1952年(昭和27)鳥取大火の2つの大きな災害に見舞われています。
県庁所在地に高速道路が開通したのが日本最後、スタバ県内1号店が開店したのが日本最後、セブンイレブン県内1号店が開店したのが日本最後と、あまり名誉でない3つの日本最後を飾ったことで、一時マスコミにも取りあげられました。
鳥取砂丘があるのが鳥取市です。また「因幡の白うさぎ」の舞台となっているのが、鳥取市郊外の白兎(はくと)海岸です。あと、鳥取藩主・池田候の居城だった鳥取城が完全復元に向けて、発掘調査&復元工事中です。

鳥取砂丘 長者が庭
白兎海岸
中央の島が白うさぎがいたと伝わる淤岐島(おきのしま)
鳥取城
現在、復元工事中 復元完成の日が待ち遠しいです

また、あまり語られていませんが、あだち充のマンガ「タッチ」(というか今の人たちは「タッチ」を知らないか忘却の彼方でしょうね)の物語最終盤で、主人公・上杉達也がヒロインの浅倉南に愛を告白したのが、鳥取市郊外を流れる新袋川の河川敷です。これって、鳥取市民ですら知らない(興味ないor気付いてない)人が多いのでは、と思います。
この回が発表された1986年(昭和61)の日本に「○○の聖地」という発想があれば、「タッチ」は人気マンガだったから「恋人たちの聖地」「タッチの聖地」として話題になってたのにねー(たぶん)。

上杉達也は浅倉南を愛しています
この場面!
私、この場所がどこなのかも分かります

すみません。自分のふるさとなので、思いをこめて長く語ってしまいました。

鳥取市 旧丸山火葬場

鳥取市街地から鳥取砂丘に向けて旧国道9号線を走ると、「丸山の追分」と呼ばれる交差点があります。古い石碑が並んでいます。この石碑についても悲しいいわれがあるのですが、それは別項にて。
その丸山の追分を通り過ぎてすぐ、山手に入っていく細い道がありますが、その道に入ると、突き当たりが旧丸山火葬場の跡です。

丸山の追分
旧丸山火葬場跡への入り口
この細い道を霊柩車が通っていたのです
旧丸山火葬場跡

ここが旧丸山火葬場跡です。今はテニスコートと弓道場になっています。
ここが現役だった頃、左となりにはごみ焼却場がありました。
子どもの頃、鳥取砂丘に向かって、あるいは鳥取砂丘から市街地の自分の家に帰るとき、自動車の窓からゴミ焼却場の太い煙突と火葬場の細い煙突が並び立っているのが見えました。時には火葬場の細い煙突から煙が出ていたりして・・・・
火葬場入り口への細い道を霊柩車が入っていくのも、何度も目撃しました。

旧丸山火葬場跡 テニスコート
この奥に弓道場
旧丸山火葬場跡 弓道場
火葬場の施設に見えなくもないですが、弓道場の建物です
旧丸山火葬場跡 弓道場のさらに奥
なにもありません

テニスコートにしても弓道場にしても、草が茂ったり荒れていたりして、使われている気配がありません。現在50歳以上の鳥取市民は、ここが長らく火葬場だったことは知っているので、ムリもないかも・・・・

私と旧丸山火葬場の関わり・1

私の父方の曾祖父は鳥取市役所に勤めており、昭和15年頃に亡くなりましたが、この丸山火葬場で火葬されたそうです。亡父の話では薪を組み上げた上で焼いたということでした。
父方の祖父は鳥取市の小学校の先生をしており、それを辞して満州開拓団に加わって大陸に渡りました。帰国後、病に倒れて昭和28年頃に亡くなりました。やはり丸山火葬場で火葬されたそうです。

子どもの頃、鳥取砂丘に向かう自動車の車中で、祖母から「あれが火葬場だで。白い煙が出ているときは棺が焼けてるとき。黒い煙が出ているときは人が焼けてるときだっちゅうで(鳥取弁です)」と聞いたことがあります。

私と旧丸山火葬場の関わり・2

小学校に入学してすぐ、春の徒歩遠足がありました。鳥取市街地の学校は、春の徒歩遠足はほぼ鳥取砂丘が目的地です。
私の小学校では6年生のおにいさん・おねえさんが手を引いてくれて、鳥取砂丘まで歩きました。その時、手を引いてくれたおねえさんが火葬場が見える道を通るとき、「あれが火葬場だで」と教えてくれました。
しかもその時、黒い煙が出ていたのです。
おねえさんは「黒い煙が出とるけぇ、いま人が焼けとるなぁ」と話していました。幼き日に祖母が語ってくれたのと同じ話でした。
私が「火葬場に入ったことあるだか?」と聞くと、おねえさんは「あるでぇ。うちのおばあちゃんが死んだとき、あそこで焼いたわいな。みんなワーワー泣いてうるさいし、臭いし、かなわんかったわぁ」と話していました。小さかった私は、その時の様子を思い浮かべ、「火葬場の中って、どうなっとるんだろう?」と考えたりしていました。
なぜか、今でも心に残っている話です。
「おねえさん、恐ろしいことを1年生に教えるなー」と思わないでください。子どもなんて案外そんなもんです。

結局私は、丸山火葬場は細い煙突を遠くから眺めるだけに終わりました。やがて丸山火葬場は閉所され、もっと郊外に新しく建設された「因幡霊場(旧)」に移転されたからです。
1976年(昭和51)に曾祖母が亡くなったとき、火葬したのは因幡霊場でした。
閉所された年はいつなのかははっきりとは分かりませんが、1973年(昭和48)か翌74年頃ではないかと思います。

昔の広報鳥取&とっとり市報から

旧丸山火葬場について何かの手がかりがないか、インターネットで検索したところ、2つだけ記録が見つかりました。
まず昭和34年(1959年)9月25日発行の「広報鳥取 第90号」です。「市営施設めぐり」というコーナーに新築された丸山火葬場の記事と写真が載っていました。

広報鳥取 第90号
新築の丸山火葬場が紹介されています。

掲載されている旧丸山火葬場の写真を見たとき、不謹慎にも「工場みたい」と思ってしまいました。
長くなるので文章すべてを再録はしませんが、次のようなことが分かります。

〇先代の丸山火葬場は、新しい丸山火葬場の近くにあったこと
〇先代の丸山火葬場は老朽化の上、鳥取大震災による被害が大きかったこと
〇先代の丸山火葬場は、火葬炉が13基もあったが、この時点で使える炉はわずか3基。しかもそのうち2つは、いつ崩壊するか分からない状況だったこと。(火葬中に炉が崩壊って・・・・ちょっと、いや、すごく怖いです)
〇先代の丸山火葬場では、1体の火葬に数時間を要したこと。そのため、火葬作業の遅れから葬儀全体の予定変更などもあったこと
〇先代の丸山火葬場では、夕方出棺・翌朝骨揚げだったこと
  ※これって実は、新潟の野焼き火葬場、四本柱火葬場も同じです
〇先代の丸山火葬場の1日平均の火葬件数は2件程度だったこと

〇新・丸山火葬場は昭和34年(1959年)10月始めに火入れを行ったこと
〇新・丸山火葬場は、寝棺用4基、座棺用1基の炉があり、重油と薪の兼用だったこと
〇新・丸山火葬場の火葬炉は「大都会同様の新式」のため、「お急ぎのとき」は2時間程度で骨揚げが出来ること(火葬を「お急ぎのとき」ってどんなとき?)
〇出棺は死亡後24時間以上たってから手続きすること。ただし伝染病死亡者はそれ(24時間)以内でもよい(え?え?え?それもある意味怖くない?)

なんかいろいろ驚きの記述がある施設紹介です。

もう一つは昭和44年(1969年)9月25日発行の「とっとり市報 第210号」です。この年は鳥取市制施行80周年にあたり、この号が記念特集号でした。
鳥取市の年表が掲載されており、その中に先代の丸山火葬場に関する記述がありました。

とっとり市報 昭和44年10月号(昭和44年9月25日発行)
赤囲みの部分が先代の丸山火葬場に関する記述

大正10年(1921年)6月に、丸山に市営火葬場設置決定とあります。

丸山火葬場の歴史をまとめると、次のようになります。

 1921年(大正10) 丸山に市営火葬場設定決定
 1943年(昭和18) 鳥取大震災 丸山火葬場も大きな被害を受ける
 1959年(昭和34) 先代の丸山火葬場が閉所 38年の歴史に幕
            10月、新・丸山火葬場の火入れ式
 1974年(昭和49) 新・丸山火葬場が閉所 15年の歴史に幕

先代の丸山火葬場は鳥取大震災で大きな被害を受けてからも、16年間も使用していたのですね。
開所(火入れ式)はいつなのかは不明ですが、先代丸山火葬場の歴史は約38年。
新・丸山火葬場の閉所はこれも不明ですが、その歴史は約15年。
先代の丸山火葬場が長く使われていたのと、新・丸山火葬場は以外に短い期間で役割を終えたことが分かります。

新・丸山火葬場の閉所で、先代とあわせると53年にわたり故人を送ってきた丸山火葬場はその歴史を閉じ、因幡霊場へと役割がうつったのでした。
<2024年8月4日訪問>

次回予告 鳥取市 旧因幡霊場跡と現役の因幡霊場

今夏の鳥取県東部の火葬場跡と斎場訪問、次回が最終回となります。

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