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三条市旧斎場跡と三条市槻の森斎苑

2009年(平成21)まで供用されていた三条市旧斎場の跡地と、その後に供用されている三条市槻の森斎苑(さんじょうし つきのもり さいえん)です。

三条市旧斎場跡

三条市旧斎場は三条市直江町(すぐえちょう)にありました。国道8号線沿いの住宅街のど真ん中です。
1959年(昭和34)に建設され、2009年8月31日で閉場になりました。50年間にわたって使用されていたことになります。

旧斎場跡地の様子

三条市旧斎場の跡地 道路側(東側=斎場入り口)から
跡地の様子 建物があったあたり
跡地の様子 南側=建物左手から
跡地の様子 北側=建物右手から
旧斎場時代から残る立木

跡地は現在、「すぐえ会館」という公民館と「すぐえ広場」という広場になっています。
供養塔や記念碑のような、かつて斎場だったことを偲ばせるものは何もありません。
休日には地域の子どもたちがサッカーやおにごっこをして遊んでいます。

最後の写真に写っている立木と広場を巡っている生け垣は、旧斎場時代から残っているものです。

三条市旧斎場の閉場式の様子

三条市の地元紙「三條新聞」に閉場式の様子が掲載されていました。「火葬場関連サイト専用掲示板」(http://azuma.xrea.jp/upload/joyful2ch.cgi)というサイトの「東博君★」という方の投稿(http://azuma.xrea.jp/upload/joyful2ch.cgi?mode=res&no=1853&st=15)から転載させていただきます。個人名も載っているので、そこは伏せてます。
なお、上記のサイトには三条市旧斎場の外観および内部の様子と、後述する三条市槻の森斎苑の外観と内部の様子も写真で紹介されています。

『三條新聞 2009年9月1日 (火曜日)より一部引用

火葬炉の前で閉場式 直江町の三条市斎場
三条市市民部長と職員、衛士3人
最後の2体火葬を終えて厚い鉄扉静かに下りる

三条市は(八月)三十一日、旧斎場の業務時間が終わるのに合わせて午後五時から火葬炉の前で閉場式を行った。
関係職員八人だけの小さな式だったが、三条市長の閉場の言葉(代読)は約五十年、ほぼ半世紀にわたって稼動した施設に対し、「本日の火葬炉閉鎖をもって幕を閉じさせていただきます。本当に長い間、ありがとうございました」と感謝して閉じた。
担当部課からは担当職員だけが出席。三基の火葬炉のうち、この日使用しなかった中央の炉の扉を開け、三条市市民部長が閉場の言葉を代読し、全員で五十年の感謝をこめて深く長く合掌。
市民部長が扉の右上にあるスイッチを押すと、分厚い耐火扉が静かに降りて火葬炉を閉じた。
閉場にあたった市長の言葉は「当施設を閉じさせていただけるのも遺族、この斎場から旅立たれた多くの御霊のお陰です」と無事の終幕に感謝。
「当施設はただ遺体を火葬に付すだけでなく、故人との最後の別れの場、人々の終えんの場として荘厳な施設として役割を果たしてきました。日常生活で振りかえる事のない死と、生を改めて故人から学ばせていただく大切な場所。命の尊さを伝える聖なる場でもありました」と多くの人を見送った旧斎場の役目をたたえた。
閉場式は五分で終わり業務終了式を行い、最後まで勤務した正職員一名と嘱託員二人の三人の衛士に花束を贈った。』

前記サイトの写真を見ると、三条市旧斎場はタイプとしては、外観は煙突を備えた旧式の火葬場ながら、内部は故人を送るにふさわしい清楚で美しい施設でした。

<2023年12月10日 訪問>

三条市槻の森斎苑

旧斎場に替わって、2009年9月1日から供用されている「槻の森斎苑」です。三条市月岡の町はずれ、パール金属スタジアム(野球場)やトリムの森などの公共施設から少し離れた一画にあります。

三条市槻の森斎苑 入り口
三条市槻の森斎苑 全景(施設の左手から)
三条市槻の森斎苑 全景(施設の右手から)
三条市槻の森斎苑 全景(施設左手の外側から)
三条市槻の森斎 施設奥の左手から 待合棟&事務室棟かな?
三条市槻の森斎苑 炉前ホールや火葬炉がある棟 右側は待合棟&事務室棟
三条市槻の森斎苑 施設奥=炉前ホール側から

中に入ったことはありませんが、開場に先立って見学会なども行われたようです。
前記サイトに内部の写真が掲載されていますが、現代風の美しい斎場です。

<2023年12月9日 訪問>

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