カラヤン&ベルリン・フィル/ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」 【音楽評論家の悪評集 Part2】
20世紀クラシック音楽の傑作とされるストラヴィンスキーの「春の祭典」。たくさんのCDが発売されているし、コンサートで取りあげられることも多いです。カラヤン&ベルリン・フィルもこの曲を取りあげているのですが・・・・カラヤンの2回目の「春の祭典」録音が、音楽評論家の悪評の十字砲火にあいました。そして、それに影響された若いクラシック音楽ファンたちも・・・・
マゼールの「第9」で、評論家たちが書いたすさまじい悪評を紹介しましたが、その表現の度外れぶりがおもしろかったので、評論家の悪評集をまたやります。
ストラヴィンスキーの「春の祭典」
「春の祭典」はロシアのイーゴリ・ストラヴィンスキー(1882.6.17~1971.4.6 イーゴリ・ストラヴィンスキー - Wikipedia)が、セルゲイ・ディアギレフ率いるロシア・バレエ団(バレエ・リュス)のために作曲したバレエ音楽。原始ロシアの異教徒たちが春を招来する儀式を描いている。
当時のクラシック音楽界はロマン主義(人間の感情の表出を主眼とする)が黄昏を迎え、次代の音楽の方向性を模索していた。
そこに、ロマン主義音楽を徹底的に否定するような、奇抜な楽器用法・不協和音の連打・変拍子・巨大なオーケストラ編成・野蛮な異教徒の描写の連続のこの曲が登場したのである。1913年5月29日にパリのシャンゼリゼ劇場で名指揮者ピエール・モントゥーの指揮によって行われた初演は、開演からわずか数十秒で怒号・口笛・罵り合い・殴り合いが起きる大混乱となった。
ただ、2回目の公演からは好評をもって迎えられ、1年後の1914年に行われた演奏会形式公演の大成功で、オーケストラのレパートリーとして定着した。
日本初演は1950年(昭和25)9月21日、山田一雄指揮する日本交響楽団(のちのNHK交響楽団)。
有名曲であり人気曲でもあるが、難曲としても知られる。
カラヤン&ベルリン・フィルの「春の祭典」
カラヤンが初めて「春の祭典」を指揮したのは初演から49年後の1952年。以後、1978年に最後の演奏をするまでの26年間に、計23回指揮しています。
その間、1963年と1975年の2回、セッション録音を行っています。ここで取りあげるのは1975年の2回目の録音です。
最初に、私の感想を記します。
「春の祭典」は5管編成という巨大なオーケストラ編成のため、管楽器とくに金管楽器が強烈に鳴り響き、負けじと打楽器の轟音も鳴り響く。つまり大迫力の演奏になることが多いのですが、へたをするとやかましいだけの演奏にもなりかねません。実際に商品化されているCDにもそんな演奏はけっこうあります。
しかしカラヤン&ベルリン・フィルの「春の祭典」は、管楽器・打楽器はもちろん強力なのですが、それ以上にベルリン・フィルの弦楽器群が強力。管楽器・打楽器の咆哮にかき消されることなく、分厚い響きを奏でます。そしてフルオーケストラで鳴り渡る最強音も音割れを起こさず、崩壊するギリギリのところで節度を保っています。
第2部の冒頭は、大地の神に祈りを捧げる異教徒の儀式なのですが、弱音で演奏されるこの部分は、異教徒の魔術をかけられたような妖しい雰囲気に満ちています。
とにかく、「他の指揮者、オーケストラの"春の祭典"とは次元が違う」というのが、私の感想です。
ただし、これは私が大人になってからの感想です。
若き日の私は、次章で紹介する音楽評論家の悪評の渦に巻き込まれて、この演奏の真価に気付かずにいたのです。
カラヤン&ベルリン・フィルの「春の祭典」に投げつけられた悪評
そもそもカラヤンの1回目の「春の祭典」が、作曲者ストラヴィンスキーによって酷評されています。
・これは・・・・冗談だろ?(カラヤン1回目の「春の祭典」録音を聴いてストラヴィンスキーが放った言葉)
そしてカラヤン2回目の「春の祭典」にぶつけられた悪評がこれら。
・(春の祭典の)ワースト1は何といってもカラヤン
・カラヤンの「春の祭典」はひどい。手にも触れないこと
・カラヤンの「春の祭典」はバイ菌を持っている。「ロマンティシズム」というバイ菌をね
・カラヤンの「春の祭典」はオーケストラがバリバリ鳴るところがおとなしいですね
・だいたい、ジャケットを見ても、どうして作曲者ストラヴィンスキーの名前よりもカラヤンの名前の方が大きく出てるの? ※前掲のジャケット画像を見ていただければ分かるように、そんなことはありません。とんでもない事実誤認ですが、こんな文章が商業雑誌に載るなんて、70年代っていったい・・・・
・「これは春の祭典ではない」という違和感が最後までぬぐえない
これらは、カラヤン2回目の「春の祭典」が発売された1978年春に、当時のクラシック音楽誌に載ったレコード評です。別にこの演奏に興味があったわけではないのですが、あまりに強烈な表現だったので印象に残っているのです。マゼールの「第9」の時のように、人格攻撃や公序良俗に反する表現は出てきませんが、「バイ菌」という表現はなかなかお目にかかれませんね。
ただ、話はこれで終わらなかったのです。
大学時代のサークルにクラシック音楽好きの先輩がいました。その人がカラヤン2回目の「春の祭典」のカセットテープを流しながら、こう言ったのです。
・こんなの「春の祭典」じゃないよ。まったく、こんな演奏をありがたがって聴いてたんだから、高校の頃のおれはバカだったんだなあ・・・・
思うに、この先輩も前に紹介したカラヤンの「春の祭典」の悪評をどこかで目にしていたのではないでしょうか。
そして私も、評論家たちの酷評や先輩の酷評に影響され、カラヤン2回目の「春の祭典」を先入観なしに虚心坦懐に聴くのがずいぶんと後になってしまったのでした。
カラヤンの娘イザベルの言葉
最後にカラヤンの長女イザベルが、カラヤンについて語った言葉を紹介して、評論家の罵詈雑言を紹介したこの稿を終わりにします。
「父は評論を気にしません。コンサートを聴いた後、母と私たちで聴いたばかりのコンサートについて、あれこれと好き勝手に話します。父はそんな私たちを、おもしろい話でも聞くようにニコニコ笑いながら見ています」
みごとに一刀両断です。
<次回予告>
ストラヴィンスキー:バレエ音楽「春の祭典」 ロリン・マゼール&ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団【妖しさ全開の黒魔術ワールド】
もう1枚「春の祭典」の名盤(迷盤?)を。このnoteにたびたび登場しているロリン・マゼールが、名門ウィーン・フィルを指揮して録音した「春の祭典」の異色の名盤(迷盤?)を。