ジャスコ

ジャスコの小嶋千鶴子さんが、亡くなった。享年106歳。
喪主は、弟の岡田卓也さんだと云う。
って、岡やん、いくつなんだ?
96歳くらいか。末っ子長男だったそうだ。

以前、通り掛かりのイオン・ノア店に入ったら、イオン創業250年セールをやっていた。歴史の長い企業である。
逆算すると、2008年だな。行ったのは。
ジャスコ・ノア店は、ノアの箱舟が着岸した地として知られる。
利根川と荒川に挟まれる。
って、違うわ。野田と愛宕の間なので、ノア、だ。

ジャスコは、岡田屋とフタギとシロの3社合併である。
ジャスコは、ジャパンUnitedストアーズ・コンパニー、の略称である。

昔、日本経済新聞の私の履歴書で、サンコーが出てきた。
サンコーは、川崎地場のスーパーマーケットであった。
四日市の岡田屋とは無関係の、川崎岡田屋モアーズ、横浜岡田屋の系列であった。
サンコーの社長から電話があり、「中内さんと一緒にやらせてもらうことにした」と云うジャスコ入りの断りがあったことが書かれていたと思う。
サンコーは、凡そ、ダイエー傘下でマルエツに組み込まれた。
巨大店舗、向ヶ丘店はダイエーとなったが、他は凡そマルエツだと思う。
サンコー小田店が第一号店とされるが、マルエツ小田店を経て、今はヒルマ小田店である。
ヒルママーケットプレイスは、比留間さんが経営する、大田区の食品会社の系列らしい。
小田店は5F建てくらいの大型店で、その昔は屋上遊園地もあったそうだ。
京町店は平屋の小型店舗で、10年前くらいに建て替えられた。ここもヒルママーケットプレイスに転換した。
昔のサンコーのままの店舗は、余り残っていないのではないだろうか。
平間店も建て直されていた。
溝の口店の建て替え再オープンは2018年だ。
小杉店は、別館FROMと公団住宅の1Fの食品館があったが、駅ビルに移転して公団住宅の1Fはダイソーになった後、タワマンに改築された。
新城店は昨年の建て替え再オープンであった。食品館は公団住宅の1Fであったが、敷地はマルエツとマンションに分けられ、2F建てとなった。
衣料館はアーケード街の方の公団住宅の1Fであったが、現在はドラッグストアとダイソー。ドムドムバーガーの跡地は喫茶店だったが、コロナ禍で閉店してしまった。
馬絹店は、サンコーとしてオープンした最後の店舗だと思う。
今は、家電のノジマである。
家電売り場を縮小し、百均も入った。
更に売り場を変更し、ロピアも入った。
ロピアは、藤沢市が地元だった。
加藤アナウンサーが、社長と結婚したことで知られる。
ロピア阿佐ヶ谷店は、アキダイ阿佐ヶ谷店になった。
ニュースに社長がよく出る、アキダイ。

サンコー子母口店も、公団住宅の1F。
ライフ子母口店の猛攻を受けながらも、マルエツ子母口店として踏ん張っている。建屋も昔のままだ。

昔はダイエーもマルエツも同じマークだったので同一視していたが、今ではダイエーはイオン直下。
マルエツは、丸紅が入っていたので、一線を画す。
だが、今では茨城地場のカスミ、元からジャスコ系のマックスパリュと統合し、ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングスの直下となっている。
マックスバリュと言っても、こっちのマックスバリュ。マックスバリュ関東、である。
あっちのマックスバリュ、マックスバリュ東海は、和田社長で有名だったヤオハンの成れの果てである。
熱海の八百屋から、世界的流通業にまでのし上った。1997年、経営破綻。
和田社長は、一昨年、亡くなった。享年90歳。
マックスバリュ関東は、2003年の津田山店が1号店なのだそうだ。初めからイオン系。
津田山は溝の口の隣駅で、店舗の敷地は日本ヒューム管の工場跡地だと思う。室内スキー場もある。

マルエツ子母口店が狭小店舗ながら存続できているのは、イオン傘下での、ライフ子母口店への対抗意識なのかも知れない。

マルエツはユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングスの100%子会社だが、ユナイテッド・スーパーマーケット・ホールディングスはイオンが過半の株式を持っているに過ぎない。
丸紅は抜けたようで、後は小口株主ばかりである。
国分が、0.83%持っている。
国分食品はコンビニのコミュニティストアを展開していたが、コロナ禍で潰え去った。2021年11月、全店閉店。
りんかい線の東雲駅のは、ぬ利彦の経営だった様だ。ローソンに転換している。
京王線のは、セブンイレブンに転換したらしい。
セーブオンはベイシア系だが、ローソン転換した。
もう、大手以外のコンビニエンスストアは、残っていない。(セコマとポプラ?)

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