羽生結弦のGLAMOROUS SKYの話をしたい

新潟ライビュ時の感想

 新潟ライビュで1度見ただけでツイッターで馬鹿みたいに喋り散らかしてたのだけど、神戸見てなにもわからないゾーンに入ってしまった。
ので、とりあえず新潟の感想ツイでも貼ります。

 何もわからないけれど、わからないままに文字を綴ります。綴るうちに出てくる言葉ってあるので。

振り付けとか

 まず、振付的な面では、新潟ライビュでも感じた圧倒的左回り感は健在でした。if…も圧倒的左回り感なのでグラスカも羽生さんのセルフコレオかなぁ。何か意図があって左回りの軌道を繰り返すのか、それとも経験値とか癖的な問題で左回りになりがちなのか気になりすぎる。
 それからちょっと過去プロで既視感ある振り付けがあったような気がするのはわざとなのかたまたまなのか私の目がおかしいのかどれでしょう。ちなみにダムパリとレミエンとホプレガの気配をほんの一瞬感じました。そりゃ過去の振付を見出そうを思えばいくらでも見出せてしまうだろうからきっと私が重ね合わせすぎ説をいまのところ推しておきます。 

感じた変化とか

 今何もわからないってなっているのは、新潟ライビュで感じた疾走感とか、ままならぬモノやコトに向かって叫ぶ感じが神戸ではほとんど感じられなかった、というのが困惑の正体かなぁ。そもそも新潟も一度しか見てなくて、しかも想像してたものと違って自分のテンションがおかしな方向で上がってたので、そのテンションの上がり方に感じ方が引っ張られた可能性もあるんですよね。
 ちょっとまだまだ掴めなくてふわふわしてるけど、新潟で感じた渇望や苛立ちみたいなものが感じられなくて、敢えて言うなら郷愁、そして達観とか諦念に近いものを感じてしまいました。
 追いかければ掴めるものもあれば、どんなに追いかけても掴めないものもあるし、あの朝に帰ることもできないし、でも明日は来るから仕方ないから前に進むか、どうせならちょっとでも楽しく、でも2度とは戻れない日々も愛おしいんだ、的な。
 閉ざしがちなのは相変わらずで、観客とはやはり目が合わないだろうな、と。
 新潟ライビュはいいぞ!!もっとやれ!!!観客なんて置いていってしまえ!!だってあなたは羽生結弦なのだから!!!みたいな気持ちで無駄にテンションが上がってました。

意外性とか伝え方とか

 思えば、だってあなたは羽生結弦なのだから!!というの、すごく傲慢で身勝手な感覚だよななんていうのも常々感じます。
 羽生さんのなかに自分は羽生結弦だという強い自負とプライドがあるのはもちろんそうだろうけど、同時に自分だってみんなと同じ一人の人間で、いのちは皆平等…みたいなところあると思うので。

 観客に伝えるということをすごく考えていて、ともすればお客さんが離れてしまうことにプロになったいまだからこそ怖さを感じているであろう羽生さんが、観客に対して自分を閉ざしているように見えるプロを、自分主催でないアイスショーの場で、1プロのみの場で披露することがものすごく意外で、その意外性が嬉しかったんです。
 それが信用の裏返しのようにも見えたから。だから、いいぞ!!!もっとやれ!!!!!って思ったんだけど。置いていかれたってちゃんと見てるからって。
 あと、閉ざした自分を見せるって純粋に恐怖だと思うから。それを見せても良いと思えるのってすごいことじゃないですか。そして見せることによって昇華されるもの、得られるカタルシス的なものってきっとあるのかなって。

産みの苦しみとか

 GIFTでもすごく思ったのですが、見せても良い部分とここから先は見せたくないというラインのせめぎ合い、エンタメとして成立するぎりぎりのラインの模索、受け入れてもらえるかの葛藤、自己の深淵を探るのに伴う痛み、創作の過程はきっといろんな苦しみがあるけど結果として見えるのは表面的に出力されたものだけで、どんなに苦しんだってちゃんと受け取ってもらえるかは出してみるまでわからないし、出したところでわからないんですよね。だって受け取るのは他人だから。
 だから外向きな表現のほうがまだ創りあげるのは楽だと思うんです。楽というと表現が乱暴すぎるけど、産みの苦しみの度合いは低いだろうと。外にエネルギーを向ければ、自分は伝えようとしましたってなれるし。もし伝わらなかったのなら伝えるための技術力を磨けばよいって今後の指針にもなりうる気がするし。
 で、だんだん何が言いたいのかピントがずれてきてしまったのを感じています。ラインの模索についてとか産みの苦しみの話はもっとしたいけどまとまらないので一旦終わりにします。

分類とか

 新潟グラスカを見てから羽生さんのエネルギーの放出の仕方について、超個人的分類をしたりしました。

 結果、ひとまず上記のような分類が完成したのですが、神戸グラスカは内向きで、ちょっと渦巻きでもあったような、なかったような。正直よくわからないです。
 
 これはGIFT配信の解説部分の微ネタバレになってしまうのですが、羽生さんが「透明なガラス」と評したものをグラスカで私はシールドと思ったんだと思います。完全なイコールではないし、違うプログラムの話をしているけれども、その感覚が羽生さんが持っていると確認できたのは大収穫です。

感想の多様性とか

 あとこれは本当に自意識過剰がすぎるかもしれないのですが、現地で1、2日目を見た勢のグラスカの感想が衣装とジャンプのことしか見なかった気がするんですよね。
 で、新潟3日目にライビュを見て、Twitterで私が内向きとか閉ざしているという感想を言い始めてから、内向きだなっていう感想が出てくるようになったような気がして。いや本当に自意識過剰なんですけど。おまえにそんな影響力ねぇよ!ってツッコミは受け付けてます。
 何が言いたいかというと、内向きっていう言葉にひっぱられて個人個人の感想が埋もれてしまっているような気がして。あーだめだ自意識過剰がすぎる。
 でも感じ方なんて人の数だけあるんだから、外向きと思ったり、めっちゃ開放的と思った人もいるんじゃないかなって。もっといろんな感想が見たいです。そしてそこから気付きを得たいです。

 そしていま神戸を見たわたしはこれは内向きで閉ざしてるという言葉であってるのかちょっとわからなくなってます。新潟の記憶より感傷的で、感傷が漏れ出ている気がするから。でも感傷ということばもまたしっくりこない。郷愁と諦念が現状一番しっくりきてしまうんだけど、あんまり諦念って使いたくないなぁどうしようって感じです。
 画面の大きさとか私自身のいまの状態とかも感じ方に影響を与えるから、うまく表現も判断もできない。わからない。でもわからないことが楽しい。そんな感じ。

 疾走感がどこかに消えたのは映像のせいなのか果たして。

総括 

 本当にまとまらないままつらつらと書いたけど、今現在感じたことを総括して終わりにしようと思います。
 
あの朝に帰りたいから帰るためにもがくのが新潟のグラスカ
あの朝に帰りたくても絶対に帰れないのを知ってしまったのが神戸のグラスカ

そんな感じ。

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