自伝(私の人生)

今から私の歴史を書いていきたいと思います。
たくさんの方に私の人生が壮絶すぎると言われたので、同じように苦しんでる方の心の支えになればと思います。


産まれた時~小学生

私は暴走族の総長である父とレディースの母から産まれました。
この時、母は18歳でした。
生まれは石川県の能登というド田舎の所です。
生まれて一ヶ月後には私の意思を無視して、とある新興宗教に入信させられました。
母の家系は祖父母から続く新興宗教の家で、父も入信させました。
しかし、母のヒステリーが酷く私が3歳の時に離婚します。
その間、父は趣味のバイクに私を乗せたりして危険行為をしていたそうです。
母の実家に住むことになった私と妹ですが、とある日、父が来ました。
私は優しくて遊んでくれる父が好きでした。
父が帰った後に母から「パパのこと好き?」と聞かれ、「好きだよ」と言うと、何度も同じことを聞かれ、結局嫌いと言うまでその会話は続きました。
私は悲しかったです。
まだ3歳だと言うのにこの記憶がまだあるということは当時、相当ショックだったのだと思います。
それから、親戚のおじさんやお兄さんがたまに遊びに来てくれました。
私にとっては父親のように感じました。
心のどこかで父親を求めていたのだと思います。
母は実家の飲食店を手伝いながらお小遣いを貰っていました。
ある日、母が祖父に内緒でタバコを吸ってるのを祖父に話したら突然母が不機嫌になり、怒られました。
なんであんなことを言ったのか。
私はただ本当のことを言っただけなのになんで怒られないと行けないのかと思いました。

私が小学校2年生になった時、母から苗字を変えたいと言われました。
当時の私はよく分からずいいよと言いました。
しかし、学校の朝礼でみんなの前で先生があのパンさんの苗字が変わりましたと紹介されてから、友達からイジメを受けるようになりました。
イジメの内容は殴る蹴る、カッターを投げられる、勝手に髪を切られる、ものを隠されるなどです。
このイジメは中学校卒業まで続きます。
後日、なんで虐められてるのか友達に聞いたら、苗字が変わったから離婚したんだということがバレたからということでした。 

小学校高学年にもなると物心も着くようになり、私が入れさせられた新興宗教をみんなやってないことに気がつきます。
母からも新興宗教に入ってることは友達に話すなと言われ、常に隠し事をしているような気まずい空気を感じていました。
友達に全てを話したくても話せない。
これは想像以上に辛いです。
友達なのに全てを話せない。
家に来て遊びに来てくれても仏間には通せない。
これ以上辛いことはありますでしょうか。
また、新興宗教の仲間(おじさん)がしょっちゅう家に来て私を会合に連れていこうとします。
会合の内容は、お題目を唱えたり、歌を歌ったり、宗教に入って良かったことなどを話しました。
いい事なんてひとつもなかった私ですが、母や他人の顔色を伺うために都合のいいことばかり言っていた気がします。
もちろん嘘です。
月に1回、教祖のビデオをみんなで見る会合の時は、母にあの話が良かったというと褒められたので、よく嘘を言っていました。
母は私のことをダメな子だとよく行っていました。
だから、褒められたことはほとんどありませんし、悪いことをしたらナイフを突きつけられたりしたこともあります。
基本的に母は宗教活動と仕事で家にはほとんど居ませんでした。
私の遊び相手は常に祖母でした。
しかし、祖母は熱心な宗教家で暇さえあればお題目を唱えている人でした。
そんな中で育った私はこの宗教こそ正しいのだと思うようになります。





中学校~高校時代


中学校に入ってもいじめは続きました。
いじめっ子も同じ中学に進学したのです。
ここでは殴る蹴るが主ないじめの内容です。
最初は卓球部に入っていた私ですが、部活がきつく辞めました。
すると、母からピアノやってみない?と言われ、やってみたいというと、何故か宗教施設に連れていかれました。
事情を聞くと、新興宗教に音楽隊があるらしく、部活をしないならここでやればいいよとの事でした。
その時、私はホルンという金管楽器を渡されました。
練習は仏壇のある広い広間でやっていました。
周りは大人ばかり。
いわゆる社会バンドのようでした。
楽器を演奏すること自体は楽しかったのですが、練習前のお題目が嫌でした。
とある日、学校の先生にホルンをやっていることを伝えると、部活にもあるなら入りなよと言われました。
しかし、中学校の吹奏楽部は女子しか居なくてとても気まずくすぐに辞めます。
それから私はゲームに逃避するようになります。
おかげでゲーム友達は出来ましたが、相変わらず私への扱いは酷かったです。
家では母が突然いなくなりました。
後日帰ってきた時に話していたのはホストの彼氏に軟禁されていて帰れなかったとのことでした。
それからも母は携帯の出会い系で彼氏を作っては別れてを繰り返していました。
しかし、優しい祖母はそれを咎めることも無く宗教の教えをおりまぜながら優しく接していました。
母は彼氏の借金も抱えていました。
妹はこの時荒れていて、不良っぽい男とよく付き合っていました。

家から少し離れた高校に進学した私は、ついにイジメから解放されました。
彼女も出来ました。
しかし、彼女に嫉妬した彼女の友達から嫌がらせの電話やストーキング行為を受けます。
結局それに耐えられず3ヶ月でお付き合いは終わってしまいました。
高校では吹奏楽部に入った私はトランペットを吹いていました。
部長(男)、副部長(女)が裏で付き合っており、トイレや音楽準備室でいたしていたことを知り、人を信用出来なくなってきます。
ちなみに部長と副部長は同じ中学校でした。
部活ない恋愛禁止と言っていた本人たちが恋愛していたことにショックを受けました。
新興宗教の音楽隊はまだ続いており、ある日、部活と新興宗教の音楽の演奏会が被る日がありました。
私たちが演奏したあと、その音楽隊の演奏だったのですが、演奏中わたしはずっと下を向いて隠れていました。



専門学校


IT系の専門学校に進学した私はプログラマーを目指すために勉強していました。
就職に向けた大事な時期にもかかわらず、宗教の集会によく呼ばれていました。
この時、母は私と同い年の彼氏と同棲を始めます。
もちろん結構詐欺です。
その彼氏は刺青バリバリに入っていてそっち系の仕事をしていました。
母も夜の仕事(キャバクラ)を始めるようになり服装がとても派手になりました。
専門学校では仲のいい友達もでき、いちばん楽しい時でした。



社会人時代

20歳で東京のIT系の会社に入った私でしたが、要領の悪い私はよく怒られ、問題児として扱われていました。
何度も何度も資格を取るようにと言われましが仕事が忙しすぎ&新興宗教の活動が忙しすぎて資格を取れないまままる3年。
仕事を辞めました。
この時、新興宗教の活動で仕事後から夜中の2時まで活動するのは当たり前になっていました。
それから7社ほど転職しましたがどこも通用せず、とある日事件が起こります。
派遣元の会社で働いていた私は、早朝スタッフさんを企業に引き渡すために案内をしていました。
その時でした。
スタッフさんが突然倒れました。
辺りは騒然となり救急車も呼ばれ、私は救急車の助手席に乗ることになりました。
病院に付きご家族の方もこられました。
病院の先生が出てくると、脳波が全くないと言われ死亡宣告をされました。
それからというもの、私はずっと動悸が止まらなくなり、会社の帰り道に発作に襲われました。
これはおかしいと思い会社の相談医に相談するとメンタルクリニックに行った方がいいとのことでした。
そこではパニック障害とうつ状態と言われ、1ヶ月の休職をするように言われます。
休職中はひたすら映画を見て過ごしました。
リフレッシュ私は上司と面談して、富山にある本社でシステムエンジニアをすることになりました。

体調も安定してきた頃、彼女を作りたいと思いマッチングアプリを始めました。
そこで福井の方とマッチングしてデートをすることになりました。
朝、福井で待ち合わせして夜まではカラオケやご飯を楽しんでいたのですが、20時頃になると彼女の方から、もっと二人っきりなれるところに行きたいと言われました。
どこだろうと思ったらラブホでした。
ビックリしましたが流れに流されるまま、、、


そして、2回目のデートでプロポーズして欲しいと言われそのままプロポーズしました。
まず、彼女の母と顔合わせをしました。
まともな人に見えました。
しかし、妻は横でずっとスマホをいじっていました。
今思うとここで気がつくべきでした。
次に私の母との顔合わせ。
母からはキャバクラじゃなくて飲食店で働いてることにして欲しいと言われ、私が結婚に消極的だったのは新興宗教とこの母が原因だったのではと思いました。
それから半年後、妻と結婚して富山で2人で暮らすことになります。
しかし、新興宗教の活動が忙しく、21時から会合などもよくありました。
妻は義母と電話することが多く、ことある事に電話していました。
今思うとこの時に気がつくべきでした。

そしてある日、妻が妊娠し、義母にそのことを伝えると、里帰り出産しなさいと言われました。
しかし、私たちは富山で育てたいと言いました。
だけど、義母は1歩も譲らず里帰り出産しないなら縁を切ると言い出してきます。
結局妻は里帰りし、私は富山に残りました。
この時、私は義母と仕事のストレスで仕事を2回休職してしまいます。

そして、ついに娘が産まれました。
妻から来たLINEには、別れるか義実家で一緒に住むか選んで欲しいという文言でした。
そんなの選べるはずがない。
子供と会いたい。
新興宗教大っ嫌いな義実家と子供を入信させたくないという妻の願いから私たち夫婦は新興宗教を脱会しました。
ちなみに、妻は私が入信させてしまいました。
今思うと後悔しかありません。

そして、辞めたことを私の母に伝えたら泣かれ、縁を切られました。
母だけではなく、祖父母、兄妹、親戚全部です。

福井に引っ越した私達はお金がありませんでした。
すると義母から、あんたの親から出産祝い貰いなさいよと言われ、メンタルが著しく悪くなり、精神科に1ヶ月ほど入院することになりました。
入院した時に私の母に保証人になって欲しいと言ったら断られました。

退院してからも義母からの嫌がらせや、居心地の悪さから自傷行為や自殺未遂をしてしまいます。
妻と子供とも家庭内別居状態で3日に1回30分会えればいいほうです。
そんな状態が続きますが、仕事をしないとお金もないので障害福祉のA型事業所というところで4時間勤務を始めることにしました。
しかし、義父母からすると男はフルタイムで働くのが当たり前らしく、更にイジメは酷くなります。
妻にも私の愚痴を永遠と言っているそうです。

そんな私も福井に来て3年が経ちます。
元々家庭内別居状態でしたが、妻も私も義母のイジメがもう限界になり、私だけ家を出ることにしました。
別居です。
会社の社宅が空いており8月中に引っ越せればというところです。

ここまで長々と書きましたがここまでが37歳の私の人生です。
これからは楽しく生きて行けたらと思います。
ありがとうございました。


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