かがみの弧城の 感想文

「かがみの弧城」を読み始めたとき、学校に来ていない子はどんなことを考えているのだろうか?と言う疑問が浮かんだ。家族や友達の心配も苦しみになっているのだろうか?そもそも学校に行く意義を感じていないのか?と言う疑問が。

この物語の主要人物は私と同じ中学生。オオカミさまは悩みを抱えた七人をを招待する。ただの城では無い、鏡を通してだけ行くことが出来る異空間の城だ。

作中で、姿見が七色に光り城が開通する。

私は、こころはもう、一人で家の中で殺される恐怖味あわなくても良いんだと、心の中で安堵の溜息を漏らしたと記憶している。

城の中でこころは、皆んなが不登校の生徒だと知った。それは本当なら学校にいる筈の時間に城の門が開くからだ。皆んな気づいていたようだが暗黙の了解で学校のことには触れないようにしていたが、束の間の沈黙は、マサムネによって破られた。

話は進み、マサムネを助ける為に5人が学校に行く場面、全員同じ中学だと判明し、自分たちは助け合えるんだと、互いを信じてそれぞれの学校へ行った。だがー。  結局会えなかったのだ。

殺される恐怖を味わったこころ、 殴られて怪我を負った嬉野、ずっと学校に行かずに孤立した風歌、どれだけ学校が恐怖の象徴だったかは分からないー。

だが、次の日の城でこころ達は「会えなかった」とは言ったものの「裏切られた」とは言わなかった。一度は死にも等しい苦痛を味わった7人が、一年もしないうちに、そこまで互いを信じられるとは、城と言う日常とかけ離れた空間が見せた幻覚であったとしても素晴らしいと心の底から称賛した。

しかし、互いを信じ切って、居心地が良くなってしまったからルール違反者が出た。アキが5時になっても城から帰らなかったのだ。アキが身勝手なことをしたのは分かるが、自分の気持ちを理解してくれるであろう仲間が居る唯一の場所から去りたくないと言う気持ちも痛いほどに理解出来る。 逆に私は、どうして他の6人はその考えをしなかったのかが分からない。

クライマックスでは、こころがオオカミさまに食べられ埋葬された6人の記憶を掘り返して行く。その中で理音の記憶は初めて姉である実生のことを語った。理音はよく、病気でずっと入院している実生に読み聞かせをしてもらっていた。特に「七ひきの子ヤギ」は大好きだった。私はその風景を見ていると城の主人公は理音だったのかなぁーと感じた。

いなくなるわけ無い思っていたが、実生はいなくなった。その事実は当時6歳だった理音にどれだけの穴を心に開けたのだろうか、それを考えたら心が痛むが、もしかしたらオオカミさまはその大き過ぎる喪失感も一緒に呑み込んでくれたのかもしれない。

結局、ルールを破り消えそうになっているアキを助ける為に1つしかない願いの鍵を使ったが、実生を助けていたら嬉野やこころは無事に大人になれたのだろうか?それはわからないが、喜多嶋晶子としてのアキは、そのとき助けられた以上を助けたのだと思う。私はアキに自分の意見を押し付ける面倒くさい子、という印象を抱いていたが、反対に喜多嶋先生のことは、誰にでも手を差しのべて助けてくれる善人と言う印象を持っていた。ずっと喜多嶋先生とオオカミさまはグルなんだと思っていたのだが、大人になったアキが正体だったと知って「城」のことは覚えていないはずなのに、何がアキを変えたのだろう?何を支えに大人になるまで生きてきたのだろう?と、私は考え、称賛し、涙を流した。

自分が助けた分は自分に返ってくる。この物語は、そう実感することができる、生きる為の糧となった作品だった。

#かがみの弧城感想文


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