江の刀剣男士たちのファンとしての当事者所感

 こちらの意見に関して何かあれば、マシュマロまでお送りいただければTwitterにてお返事いたします。


 昨日、刀剣乱舞に初めてログインしてから7年が経った。それ以降、毎日熱心にログインしていたわけではないが、本丸を覗かない月はなかった。近侍に長期の留守を諌められたのも、片手で数える程しかない。
 私はマスコットやアパレルなどのグッズも気に入ったものがあれば、いや、デザインが趣味でなくても推しキャラクターの公式グッズだと思えば入手するほどである。
 さらに『刀剣乱舞-ONLINE-』では、機会があるごとに微々たる金額ではあるが有料アイテムを購入している。先日も、刀剣所持枠を購入したばかりだ。
 またメディアミックス作品も全部追っており、演奏会以外のイベントには全て足を運ぶか、配信を見るなどしてきている。
 ミュージカルは2016年の本公演初演から、舞台は2017年に2作目を見に行くにあたり1作目も見てきた。舞台に関しては昨年公演していた作品については追いついていないが、それでもアニメ、映画なども納得いかない部分が多々ありつつも、一旦は視聴するというスタンスを貫いてきた。(アニメに関してはnote開設時の拙い記事が残されている)
 当然、宝物である刀剣にも造詣が深まるきっかけとなり、今では刀剣関係の仕事に就いているくらいに、ゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』には人生を彩られてきたことを感謝している。したがって、刀剣乱舞から刀剣を好むようになった方の気持ちも理解できるつもりだ。

 しかし、2022年に入ってからゲーム 刀剣乱舞-ONLINE-が見せる展開には首を傾げる、いや、頭を抱えてしまう点が多いと感じている。
 初の大型レイドイベントである「大侵寇」が発表され、部分的に黒く塗りつぶされたイベントスケジュールを目にした時、私は「そうはいってもゲームだし軽々しく終わるはずがない」と高をくくっていた。だが、このイベントをきっかけに自らゲームのプレイをやめた、あるいは辞めたくなるほどの感情を抱えたプレイヤーが多かったことはTwitterを見ているだけでも知ることができた。いわゆる炎上である。
 『舞台 刀剣乱舞』独自の設定だと思われていた「三日月宗近は何度も歴史をやり直している」(と受け取れるようなストーリー)が、原案である『刀剣乱舞 -ONLINE-』でも描かれたためだ。さらに、EDクレジットに舞台とミュージカルの脚本家らの名が掲載されていた。これはいかなることか。
 正直に言って、この時点ではまだ私は「大侵寇」にそれほど熱を入れていたわけではなかった。ゲームシステムやストーリー性に魅力を感じていなかったためで、小判や現金を消費して七星剣を獲得するよりも、次のイベント(秘宝の里)に備えて小判を温存する作戦を取っていた。そのため、当事者意識はあまりなく、対岸で大火事が起きて大変そうだなあ、くらいの軽い気持ちであった。
 
 だがこうしてnote記事を書くまでに私を突き動かしたのは、新キャラクター【稲葉江】の実装により、私自身が確かに当事者となってしまったためだ。人間、ショックを受けると3日ほど放心してしまうようだが、ようやく言語が思考に追いつくことができた。
 念のために言っておくが、私はキャラクター【稲葉江】は好きだ。早速イベント開始から1日と少しで手に入れ、それから2日経った今日の時点では90レベルを超えている。そろそろ、2振り目の【稲葉江】を入手できそうだ。(→入手しました)さらにモデルと考えられる国宝の刀剣【稲葉郷】も何度も展示に足を運び、見るたびに美しい刀だと感じていた。
 だが、【刀剣男士 稲葉江】の生まれた経緯、そして祝福できないプレイヤーの多い現状を考えるとその登場を手放しで喜べなくなってしまったのである。

 前述の通り、私は『ミュージカル 刀剣乱舞』の作品は本公演と大型公演、そして源氏双騎公演を何らかの形で全て見てきている。したがって、葵咲本紀(以下、葵咲とする)も当然知っている。
 葵咲には、遡行軍とはいえない、黒い謎の刀(結城秀康が所持する刀に何らかが取り憑き、結城秀康に歴史を変えさせようとする)が登場する。その際に、篭手切江が「私にしかできない任務」として、黒い刀を改心させるというシーンが描かれている。
 その際に、篭手切江は黒い刀のことを「せんぱい」と呼んだ。また、結城秀康のことを御手杵から学んでいる際、御手杵と篭手切江は彼を「天下を二度逃した男」と評している。これらは、今回の【稲葉江】の実装に伴い追加された篭手切江の台詞、さらに【稲葉江】の台詞の原案としか考えられない。

 私がここで「原案」という言葉を使ったのは、「全てのメディアミックス作品の原案である『刀剣乱舞-ONLINE-』の外部に、『刀剣乱舞-ONLINE-』の原案が存在していまっている」という矛盾を指摘するためだ。
 『刀剣乱舞-ONLINE-』が原案である以上、他のメディアミックス作品はそれ単体でも楽しめるが、やはり『刀剣乱舞-ONLINE-』に触れている方がより楽しめることは当然だろう。
 だが、メディアミックス作品に触れている方が、原案をよく楽しめる、というのはいささかおかしいと感じるのは、間違っているだろうか?

 加えて戯曲本では「結城秀康の刀」と語られ、さらに、ミュージアム作品『東京心覚』では豊前江の発言にひとこと「稲さんは篭手切が会ったみてえだけどな」と登場したキャラクターは、やはり【稲葉江】であったということは、〈郷義弘〉の作刀作品を調べれば明らかにはなる。だが、逆を言えば、〈郷義弘〉の刀に関して自ら調べない限りは、葵咲を見ても黒い刀が何者だったのか全くわからないという、(意図的であったかもしれないが)舞台作品における痛恨のミス=制作サイドは分かっているが視聴者には伝わらない説明不足の作品、という不完全さすら残してしまっている。

 なお、篭手切江のソロ歌唱楽曲のタイトルは「未熟な私は夢を見る」であるが、これも【稲葉江】実装により篭手切江の台詞として新たに実装された要素(回想)の一つである。
 5年前に実装された篭手切江には、極の修行がまだ解禁されていない。篭手切江よりも後に実装されたキャラクターは次々と修行が解禁されたのに、だ。しかし彼にはメディアミックス作品を原案とする新たな台詞が追加されてしまった。7年間共に戦って来た三日月宗近が突如行方を晦ますのと並ぶほど、5年間本丸でれっすんを詰んできた篭手切江が他所の本丸の篭手切江と全く同じセリフを吐くようになるとは、あまりにも酷いと感じてしまうのは、私だけだろうか。
 【稲葉江】のキャラクター性に関しても問題視している部分があるが、ネタバレを避けるため、後述することにする。

 私は、今回の事態を「長年の行きつけのラーメン屋でいつもの味を求めてラーメンセットを頼んだら、一緒に頼んだ餃子やチャーハンをラーメンどんぶりの中に入れ、ぐちゃぐちゃに混ぜて提供された状態」と例えている。もちろんここで言うラーメンは原案であるゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』、餃子やチャーハンはミュージカル作品や舞台作品だ。「今日はチャーハンだけの気分」ということや、「ラーメン単品でいいや」ということも当然あって、食べたいもの=その時に楽しみたいものを各々が好きに選んで楽しんできた。アレルギーがあるから餃子は食べられない=どうしても実写作品は受け入れられないから、ひたすら原案だけを楽しんできたプレイヤーも少なくないはずだ。
  だというのに、「良いものはいくらまぜても美味しいよね!」というシェフの気まぐれで、混ぜなければ楽しめたものも、アレルギー物質もまとめてラーメンに放り込まれた上で無理やり口に流し込まれている。そんな気分なのだ。ここで「メディアミックス作品を私の本丸に持ちこまないで」という声をあげなければ、あなたの本丸の男士が、ギターをかき鳴らし、牛乳を一気飲みし、傘を振り回しながら舞い始めるという設定を与えられても文句は言えないのだ。
  「長年食べ続けた、美味しかったあの味に戻してよ!」とシェフに言うのも許されないほど窮屈な世界ではないはずである。

  ※追記:「刀ミュが向いてないようだからジャンルから出ていけば?」という意見が多く見られますが、それに関しては既に何度も(5通以上)お返事しておりますのでTwitterを確認してから送ってくださると助かります。
 

 この【稲葉江】の実装が、『ミュージカル刀剣乱舞 真剣乱舞祭』の公演開始直前であったことにも、非常に腹立たしさを感じずにはいられない。
 『ミュージカル刀剣乱舞』のファンとして、葵咲に出てきた「せんぱい」はいつか実装されたら嬉しいな、というそれこそ夢物語のような感情を抱いていた。ミュージカルの公演がまったく関係がない時期であれば、私個人は素直に喜べたに違いないのだ。
 この時期にゲームに登場するということは、真剣乱舞祭にも登場するとほとんどの人が予想していることだろう。再び、江のキャラクターとファンがサプライズ要員として弄ばれているのは非常に腹立たしい。

 というのも、『ミュージカル 刀剣乱舞』には、2019年に行われた大型公演、『歌合 乱舞狂乱』で、桑名江と松井江をサプライズで登場させたという前科があるからだ。
 この公演については、チケットが販売し終えた時期に、脚本家が増員されることが発表された。いつもの『ミュージカル 刀剣乱舞』の大型公演だと思ってチケットを購入した私は裏切られた思いで公演会場に足を運んだ。刀剣乱舞作品を扱ったことのない脚本家がそれまでの世界観に沿った作品を描けるはずがなく、憂鬱を抱えた私は遠征先の長野で、ヨーグルトリキュールを一気飲みしたのを覚えている。
 この作品ではネタバレが禁じられていた。そんな公演の初演で、桑名江が初登場したのだ。この時点で、桑名江役のキャストは不明。目元が髪の毛で隠れているがために、特定するための情報もそれほど得られなかった(歯列から特定した方はいたらしい)。桑名江のファンにも、キャストのファンにも失礼な話ではないだろうか。桑名江が出るならば見てみたいとか、キャストのファンだから見たいという方を失望させたに違いない。
 さらに、この年の悲劇はこれだけではなかった。公演期間中、新たな江のキャラクターがゲームに実装された。松井江だ。とある会場(埼玉公演ではないと訂正のマシュマロを頂いたので、とある会場と記載を修正した。だが主旨が揺らぐほどの情報ではないだろう)での公演の直前に実装された松井江は、あろうことか、実装直後の公演で桑名江に代わり舞台上に登場した。要するに、桑名江は松井江がゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』に登場するまでの繋ぎ・時間稼ぎ役に過ぎなかったのだ。桑名江が出ると知りチケットを得たファンの心中を考えてみると、絶句してしまう。なお、絶望した私は人から話を聞いただけであるが、千秋楽では再びその場面での登場は初演と同じ桑名江に戻り、松井江は舞台袖から歩いてくるという演出になったそうだ(こちらも訂正を求めるマシュマロで、舞台演出は後半からの演出と変わらず松井江のままで、桑名江が舞台袖から出てきたとのことだが、「サプライズに江が使われていて不快」という伝えたい主旨はどちらにせよ変わらないと思う。2振りとも、そもそも『歌合 乱舞狂乱』に出るとは告知されていなかったキャラクターであるからだ)日替わり公演があると発表していたにしても、あまりにもファンを舐めている。
 2019年の公演に関しては、「いじめ」に見えるようなモラルに欠けた表現が多く感じられたことやキャラクターの描ききれていない部分が多すぎたこと、さらには歌手活動をしているキャストの演じるキャラクターがギターを持ってきて演奏したなど、あまりにも問題が多すぎ(個人的に最大の問題は、日本神話に登場する神の名前をバラバラにアナグラムにして、でっちあげた手話だか手印だかの真似事をさせ、「神の領域」というセリフを用意したことだと思うが、論点が逸れるので今回は語らないこととする)るが、〈郷義弘〉の刀をモデルとしたキャラクターに注目しただけでも上記のように失望を与えてきた公演であったことは間違いない。この公演については多くのファンがご意見感想フォームから辛かったと送ったと聞いているが、今回の事態を見るに、運営は反省など全くしていないのかもしれない。もしかしたら、マイナス意見は切り捨てて動いているのではないだろうかと思わせるほどなのだ。

 さらに〈郷義弘〉の刀のキャラクターに関しては、『ミュージカル 刀剣乱舞』は2021年に同様の事態を引き起こしている。
 2021年2月9日に実装された村雲江、そして2020年12月に実装された五月雨江である。2021年1月1日に公式Youtubeにて発表された新作の情報解禁では、俳優2名の配役が「???」であった。2月7日になり、村雲江の部分画像が本丸通信Twitterに投稿された時点(キャラクター名は非公開)で、おそらく服装からして江のキャラクターであるし、五月雨江が「雲さん」と発する台詞があることから、五月雨江と村雲江が出演するのであろうと予想はされていた。だが、2月10日になってようやく正式に配役が発表された時には、既に先行チケット販売は終了していた。五月雨江や村雲江を本気で好きになってミュージカルに出るのなら見たいと考えたファンすら置いてけぼりにされたのである。
 2021年1月の大型公演『壽』でも、篭手切江は趣味というよりはアイデンティティの一部であるれっすんに葵咲の出演メンバーらを誘うも、嫌がられ断られる、という演出があった。その様子はまさしく「いじめ」のようであり、気分を害した視聴者の声も沢山聞いてきた。
 あまりにも多すぎるこのような前科が裏付けとなってしまうため、このタイミングにおける【稲葉江】の実装も「ああやっぱりね」という気持ちでしかないのである。運営は、郷義弘に恨みでもあるのだろうか……。

 さて、それではなぜこのようなことが起こっているのか、憶測にすぎないが考えを巡らせていこうと思う。
 ひとえに、ミュージカル作品の運営スタッフの声が大きすぎることが挙げられるのではないか。2020年、コロナ禍のために中止となった大演錬の代わりに配信された「控えの間」では、舞台とミュージカルの俳優勢が、zoomを使用して楽しませる、という趣旨だと発表されていた。
 だが、蓋を開けてみれば、ミュージカルの脚本家がずっと中央に陣取り、キャストは10~15分ごとに入れ替わるという形式の締まりのないトークであった。ミュ脚本家は気に入った俳優にばかり話を振っていたせいで、全く話せない方もいた。というよりも、80%ほどのキャストが一言、二言の挨拶程度しか発言できなかったのだ。突発的に決まった企画だとしても、お粗末すぎる。ファンだけでなくリハーサルに付き合わされた俳優からも3時間以上の時間を奪っておいて、その程度しかできないなど失望した。さらに、前日に行われたリハーサルでは各々の演じるキャラクターについて語り合ったと某キャストのブログで語られていた。だが、本番配信ではそのようなトークはなく、酷い場面では9人ほど参加しているのに1人の舞台公演の役者とミュ脚本家が「君と話してみたかったんだよね」というような流れで1:1で喋るのを見つめる他キャストを見せつけられていた。まるでキャバクラの接待風景を見せられているような2時間で、ただただ、不快だった。
 この時、舞台の方のスタッフは出演しておらずミュ脚本家が独断で進めていたのを見るに、ミュ運営の方が力が強いのは明らかだろう。ミュ運営の方が声が大きいとなると、2.5次元作品の方が稼げるからゲームよりも決定力が大きくなるという意見は論破できてしまう。おそらく、対人関係による力関係として、ミュ運営が圧倒的に声が大きい。

 さらにこの時に明かされたのは、「もし予定通りに開催できていれば、天照大神に見立てた松任谷由実氏をサプライズで登場させ、観客のペンライトで照らす演出をする予定だった」ということだった。開催できなくて良かった、そんな演出が実施されていたら、生で歌を聴きたいであろう長年の松任谷氏のファンに怨まれること間違いなしだったし、望まぬ出演者にチケット代が出演料として奪われたとなれば刀剣乱舞ファンらも騒いでいたことだろう
 この事態からも考えられるように、2019年の大型公演でうまくいった(と運営は勝手に感じている)ためにどうやらミュージカルの運営スタッフ(と、もしかしたらゲーム側のプロデューサー)は思い付きサプライズに陶酔しているのではないだろうか。「こんなすごいこと考えて実行できちゃうし周りも動かせちゃう俺すげー!」という考えが透けて見えるのだ。
 というのも、2022年真剣乱舞祭のために「声」を募集するという企画が公演開始1週間前に開始されたことを考えの根拠としている。使用するツールも、方法も、思い付きの域を出ていないのだ。そちらに人手を奪われて、本来完成まで1週間走り切るはずだった作業に手が付けられないスタッフが発生し、本来の完成度に満たないものを見せられるという可能性を考えると、天を仰ぐしかない。前回の真剣乱舞祭公演と比べて3000円も値上がりしたチケット代は、ついに13000円となったのだ……。
(ミュ運営は正直なところ、危機管理意識も甘い。地方公演に行った際に、たまたまスタッフ・俳優が同じホテルに宿泊していたらしく、ホテルの入り口で点呼を取るスタッフを確認した。それが刀ミュスタッフだと確信できたのは彼らがスタッフTシャツを身に着けていたからである。役者を守るべき立場の仕事に就いている自覚はあるのかと疑問に思った)

 自分の本丸の刀剣男士は、愛しているに決まっている。だが、ミュージカルや舞台に出てくる刀剣男士は私の本丸の刀剣男士ではない。ミュージカルがこれ以上暴走すれば、自らの意思で閉ざし、関わらないようにするしかないと思い返さざるを得なかった。この思いを胸に、5月8日、自らの目で2022年の真剣乱舞祭に参加して(既に現時点で期待値は0どころかマイナスだ)、判断を未来の自分に任せることとする。そのことを改めて考えなおして、私の元に来てくれた【稲葉江】は全力で愛するという意のもと、筆を置こうと思う。



【稲葉江】のキャラクター性について
 自分の本丸に【稲葉江】を迎えて、蘇言機を全て使い7周年までのボイス、長期留守ボイスを解放した。隊長任命ボイスや索敵ボイスも総括して考え、友人らとも話し合ったところ、「暗い大包平」という印象に落ち着いてしまった。(例えば、索敵が「草を放て」で大包平の「偵騎を放て」と近いし、隊長にすると「当然だ」と言う。大包平は「了解した、当然だ」である)【稲葉江】としてのキャラクター性がにじみ出る台詞がなく、ミュージカルの台詞を元にした「天下」「夢」関係の台詞か、そうでないものは大包平の借り物という様子なのだ。感じ方には当然差異があるだろうから、大包平とは似ていないと感じる方もいるに違いない。
 思えば、土佐弁や関西弁、沖縄のことばを使うキャラクターは、現地出身の声優さんが演じている。だというのに、小倉弁を扱う豊前江に関してだけは岩手県出身の声優が担当している上に訛りの監修もついていない(監修はついているとの事ですが、公式的に明言されていません。監修をした方がTwitterで「○○の監修をしました!」とだけ呟いたとしても、一般ユーザーには知らされていないのです)のか(出身地修正しました。声優さんとファンの皆様、申し訳ございません)、違和感を覚える瞬間がある(違和感に関しては個人差があるでしょうが)。本当に、運営は郷義弘に怨恨でもあるのだろうか……。

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