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ビリから学校2位にまでなれた話

こんにちは、ゆんです。
昨日投稿を休んでしまったことで、皆さんの想像以上に落ち込んでしまっています。

切り替えます。

今回は、『ビリから学年2位にまでなれた話』というものです。

本日2記事目ですが、今回は割とただのエピソードトークなかんじです。(ネタが切れたとかそんなんじゃないからね!ほんとそんなんじゃないからね!)

それでは、とてつもなく素晴らしい僕のエピソードをお聞きください😘

小学1年生の場合

小学1年生の頃の僕は、“インドア派“の今の僕がすでに完成していて、、いや、“漫画“という凶器を知ってしまっている今の僕とは別次元の“インドア派“が完成していて、休み時間は友達とは外で遊ばずに教室で読書、さらに読書の幅が歴史人物辞典にまで伸びていて(流石に途中で諦めた)、テストでは必ず学年4位以内の秀才っぷりを発揮する(成績は中1までは良かったです。そう、スマホを持つまでは。)、“スーパーインドア1年生“でした。

そんな僕は、皆さんのイメージ通り運動があまり得意ではなくて、体育の授業で行うマラソンなんかは男子の中で毎回ビリでした。

どんなに頑張っても他の男子を追い抜くことができず、挙句には女子にも僕を追い抜く子が出てきます。

結局、一度もビリからの脱出は叶いませんでした。



小学4年生の場合

小学3年生の頃、とあるきっかけがあって僕はサッカーが好きになり、4年生からは本格的にサッカーをしていたのですが(一応1年生からサッカーはしていた、嫌いだったけど)、それと同時に通学方法が自転車に変わりました。

僕が通っていた学校は『朝鮮学校』というところで、韓国・朝鮮にルーツのある生徒達が通っているのですが、学校の数が少なくて、遠くから通う生徒が大勢いました。
僕もその1人でした。

そんな僕が通った小学校では、3年生まではスクールバス、4年生からは電車か自転車で通学するというルールでした。

それから僕は自転車で通学するようになったわけですが、学校までは7km程あり、初めの頃は50分くらいかかったので、小学生の僕にはかなりキツかったです。

でも、「もう嫌だああぁ!車で連れてってええぇ!」なんて言いながら泣きべそかくのも、流石にもう4年生ですからできません。

なので仕方なく、ヘトヘトになりながらも毎日通い続けました。


そうやって頑張っていても、冬の時期にある体育の授業のマラソンでは(ビリではなくなってたけど)まだ下位の方にいました。



小学6年生の場合

そしていつの間にか6年生になって、またマラソンの時期がやってきました。


その頃、走りたくない気持ちで憂鬱になっていた僕に、母が「今年は1位取りや!」なんて言うんです。

そんなこと言うもんですから、僕はすかさず「そんなん無理に決まってるやん!」って返します。

そしたら母がこう言うんです。
「最初からそうやって壁を作るから無理やねん。なら今度、1番速いA君の後ろにピッタリついてってみたらええねん!」
と。

その場では「いや、そんなん絶対無理やから!」とか言ったものの、その頃はまだ純粋だった僕、結局A君の後ろについてみることにしました。

そしてついにマラソンが始まると、

あれ?

おれついてけてるくね?

これまさかのイケるくね?


おれ、できんじゃん!


ってなりました。

そう、そこで僕はいきなりマラソン校内2位という快挙すぎる快挙を成し遂げたのです。

それからというもの、僕はとある駅伝大会の学校代表に選ばれ、なんと区間賞まで獲ってしまう“スーパースター“へと進化したのでした。



学んだこと

この出来事から学べたことが大きく2つあると思っていて、


1つが、嫌なことでも続けてみるということ。

あそこで自転車通学をしていなかったら、絶対にA君にはついていけなかったでしょう。


もう1つは、何事も壁を作らずに一度やってみるということ。

もしYouTubeを始めるなら、HIKAKIN越えを目指してみる!とか。

いつもは「何言ってんの?」ってなるようなことばかり言うけど、あの母の一言は、今までの母の言葉で1番僕の中に残っています。


どっちもありきたりなことですが、そうやって生きていこうと思った、僕の小学6年生のお話でした。




ということで、今回は『ビリから学校2位にまでなれた話』でした。


最後まで読んでいただきありがとうございました!

またね!

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