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船の守り神、船乗り猫 その3

軍艦に乗った船乗り猫

 第二次世界大戦の勃発とマス・コミュニケーションの発達、そして船乗りたちの外交的な性格も手伝い、「船乗り猫」たちは瞬く間に一般の人々に知られるようになった。中には人々にもてはやされ、一躍セレブになった猫もいる。

アンシンカブル・サム(不沈のサム)

 元の名前をオスカーといい、ドイツ戦艦ビスマルクの船乗り猫だった。1941年5月27日ビスマルクはイギリス軍の猛攻撃により戦闘不能に陥り、自沈した。2200名のクルーのうち生存者はわずか116名だったが、オスカーはビスマルクの攻撃に加わったイギリスの駆逐艦HMSコサックにより拾い上げられた。数カ月後の10月24日、コサック自身もまた魚雷攻撃により沈没し、159名の死者を出したが、オスカーは再び生き残り、救助されジブラルタルへ。オスカーはHMSアーク・ロイヤルの船乗り猫となったが、同船はその年の11月に魚雷攻撃により沈没した。オスカーはまたもや助けられたが、これを機に、彼は陸の上にあがることになった。この頃にはオスカーが3度の沈没から生還したことが周囲に知れ渡っており、彼にはジブラルタル総督のオフィスビルのネズミ捕り係という新しい職務を与えられた。その後イギリス本国に戻り、「船乗りの家」という施設で余生を過ごした。
 上のパステル画はロンドンのグリニッジにある国立海洋博物館に収蔵されているサムのポートレートである。

リンダ
 元第二次世界大戦中魚雷攻撃により沈没したノルウェイの貨物船SSリンダ号の船乗り猫。生き残ったクルーたちは、彼らの愛猫が救命ボートに乗っていないことに気づき、夜の海の上を大声で探し回った。そしてついに離れた場所から「ミャウー」という哀れな声が聞こえると「我々は力の限りボートを漕ぎ、ずぶ濡れの毛玉を抱き上げると、皆声を上げて笑い、泣いた。」リンダは彼らを救助したイギリス海軍の武装トロール船HMTピクトの船乗り猫になり、沈んだ貨物船の名前を取ってリンダと名付けられた。

プーリ

 アメリカの攻撃輸送船の船乗り猫。彼女は3本の略綬(略式タイプの勲章、軍人が制服につける長方形のリボン)と4つの従軍星章を授与された。写真は1959年の15歳の誕生日に制服を着せてもらったもの。
 

サイモン

 サイモンは香港生まれの大英帝国海軍船アメジスト号の船乗り猫。1949年4月、アメジスト号が揚子江を下っているとき、中国共産党軍の榴散弾による攻撃を受けた。サイモンは脚と背中を負傷し、ヒゲを焦がした。一部のクルーは彼が一晩保たないだろうと思った。しかし、サイモンは奇跡的な回復を遂げる。元気を取り戻したサイモンは、船内に蔓延る大量のネズミを一掃、ついにはクルーが「毛沢東」と名付けた巨大ネズミをやっつけた。そんな彼の様子はクルーたちを大いに勇気づけた。その後、サイモンの功績は世界中に知れ渡り、大量のファンレターが舞い込むほどの有名猫となった。1949年8月、サイモンは戦争中に活躍した動物として、猫の受賞としては唯一、イギリスの勲章であるディッキンメダル(動物に贈られるメダル)を授与された。
 同年11月、サイモンは戦争の傷口からの感染症により死亡。タイム誌にはサイモンの死亡記事が掲載された。彼の葬式にはアメジスト号のクルー総員を含む数百名の弔問客が訪れた。墓はロンドンのイルフォード動物霊園にある。また、サイモンはタイム誌のヒロイック・アニマルのトップ10に選ばれた。
 全くの余談になるが、このヒロイック・アニマルトップ10の中に「日本の救助犬」というタイトルで、東日本大震災当時、傷ついた仲間の犬にずっと付き添っていた詳細不明の犬が選ばれている。もし詳細をご存知の方がおられたら是非お知らせいただきたい。

ピーブルス

 イギリスの戦艦HMSウエスタン・アイルズの船乗り猫。クルーたちの人気者で、頭が良く、士官室に来客があると手を差し出し、握手を求めたことが知られている。
 また、ウエスタン・アイルズ号は1902年に進水以来、貨客船、戦時輸送船、対潜水艦訓練学校の旗艦、オランダ海軍の練習船として活躍、1971年に同海軍のリストから外されるまで69年もの間現役であり続けた非常に長命の船であった。

ブラッキー

 イギリスの戦艦HMSプリンス・オブ・ウェールズ号の船乗り猫。1941年8月、本船は大西洋を横断し英国首相ウィンストン・チャーチルをニューファンドランド島(当時イギリスの植民地・自治領、1950年カナダに加入)のアルゼンチア海軍基地へと運んだ。目的はアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトとの極秘会談。チャーチルが下船しようとしたところへブラッキーが近づき、チャーチルはブラッキーに別れを告げるために立ち止まった。その瞬間が撮影され、世界的メディアにより報道された。その会談の後、プリンス・オブ・ウェールズ上で大西洋憲章が調印され、ブラッキーの世界的名声もまた不動のものとなった。この訪問の成功を記念して、ブラッキーはチャーチルと改名された。
 ブラッキーはプリンス・オブ・ウェールズが同年に大日本帝国海軍の戦闘機の攻撃により沈むところを救助され、船の生存者によってシンガポールに連れてこられた。翌年、イギリスのシンガポール撤退時に行方不明となり、その後の消息は不明である。

 第二次世界大戦中に有名になった船乗り猫の大部分はイギリス海軍所属であるが、1979年、衛生上の理由からイギリス海軍ではあらゆる動物の乗船が禁止された。ただし、一般の船には今でも多くの船乗り猫たちが乗船している。
 HP「Purr ‘n’ Fur」には上記の猫以外にも60匹を超える軍艦の船乗り猫が紹介されている。船乗り猫はストレスの多い海軍クルーの波立つ精神を宥め、楽しませ、ときに勇気づけ、士気を鼓舞し、人間性の彼岸から彼らを呼び戻す役目を担っていた。戦争中世界中で数多くの船が沈み、民間人・軍人を問わず、波間に消えていった何万人ものクルーたちと運命を共にした船乗り猫も多い。船の守り神とされてきた彼らはその小さな全身で船と船乗りたちを守ってきた。単なるネズミ駆除の道具、船のマスコットと呼ぶには「船乗り猫」たちが払ってきた犠牲はあまりにも大きい。

アニマルズ・イン・ウォー・メモリアル
 2004年12月、ロンドンのハイド・パークにアニマルズ・イン・ウォー・メモリアルという記念碑が市民の寄付により設置された。これは、イギリス軍に従軍し死亡したあらゆる動物の慰霊碑である。これと同じ趣旨の記念碑がカナダのオタワ州にあるコンフェデレーション・パークにも存在し、こちらはカナダ軍に従軍した動物たちを慰霊するものである。
 ハイド・パークの碑文にはこうある。

この記念碑をあらゆる戦争において
イギリス軍及び連合軍に仕え殉じた
すべての動物たちに捧げる

彼らに選択の余地はなかった

数多のそして様々な動物たちが何世紀にも渡り
イギリス軍および連合軍に動員され軍を支え
その結果何百万もの命が失われた
鳩から象に至るまで
すべてのものが世界中のあらゆる場所で
人間の自由という大義のため
かけがえのない役割を担ってくれた
彼らのしてくれたことを
私達は決して忘れてはならない



参考・引用
The Best Cat Page  The Legend of Unsinkable Sam – The Tuxedo Cat That Served On and Survived 3 Sinking Ships Duing WW2!
CURRENT The interactive magazine for SEA CADETS - Cats at sea
The Times Top10 Heroic Animals
The Times The Surprising Story of the Only Cat Ever to Win the Highest Honor for Animal Military Gallantry
wikipedia Animals in War Memorial
wikipedia Ship's cat
Purr 'n' Fur  Cats in wartime


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