「私は何がしたいの?」という問いを変えるとき(RICゼミ5日目)

RICゼミ4回目はお休みしたため、録画した動画を見てキャッチアップしました。4回目での動画で心に残ったことを箇条書きにします。

・活動、愛、苦悩があることで、充実した生活を送ることができる。

・自由になると孤独になってしまうので、システムや権威に従ってしまう自由を前提とした新しいルールを創造する必要がある。


ところで、3回目のRICゼミから「無邪気に熱中する」ことがキーワードになっています。

先日、父と魚釣りに行きました。釣れるまでは海の様子を伺いながら静かに熱中している感じで、釣れるときはとてもエキサイティングな感じです。初めてスズキ(70cm)を釣りました、やったね!釣りの熱中感は私に合っているかもしれません。

釣りの帰りに実家に帰省して両親と話したのですが、それぞれ熱中していることがありました。父は魚釣りに、母はアートセラピーや風水に熱中しているようでした。

そんな両親と話していると、やはり自分は父と母からできていると感じます。血を分けた家族は自分の生き方の参考になるような気がしてなりません。


仕事は9月の繁忙期を乗り切りほっとしているところで、余裕をもち落ち着いて過ごせていますが、相変わらず昇進や昇給には「なんじゃそれ」という感じで、このままギリギリの精神状態で働くことに疑問を感じますし、自分が進みたい道ではない気がします。

仕事では「されるがまま」な感覚があるのですが、それが「するがまま」に近づいていけばいいのでしょうけど…。


「じゃあ、結局私は何がしたいの?どうしたいの?」という問いについてよく考えるのですが、それだけではこの先には進まないような感覚があります。

問いを変えるときかもしれません。

こんな話をしたRICゼミ5日目でした。