どうか。
祖母の意識がない。
一つ前の記憶さえ、少しばかり前のことで、思い出すのに少し時間がかかる。
皆で祖父母の家に帰省し、お寿司や鰻を食べ、緑茶を飲み、桃を食べたこと。
応接室で好きなテレビを見て、祖父の戦時中の写真や賞状を見ては、子供ながらに愛国心と忠誠心にただただ敬服し祖母に話を聞いたこと。ホールインワンを決めたり、何十ヶ国もの国に訪問した祖父の写真を眺め、異国の自然や風景に思いを馳せたこと、飼い犬のご飯を作る祖母の姿を眺めたこと、お座敷で夏の音を聞きながら眠りについたこと…
どれも忘れられない思い出であり、そこにはいつも笑顔があった。
祖父がなくなったとき、私たちは泣き崩れたが、祖母は祖父の名前を何度も呼び悲しんだが、どこかしゃんとしていた。事実を受け止め、静かに耐えていた。
この想いは届くのだろうか。
祖母が祖父と出会い、戦中生き延び、三男を授かり、母親と出会ったことで、私がいま生きている。
尊い命は、奇跡の存在といっても過言ではない。
せめて、想いを伝えたい。意識が戻ることを願って。
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