男の中にある可愛く、ピュアでありたい願望と、女の中にあるカッコ良くなりたい願望。

岡田斗司夫さんのYoutubeが好きでよく拝聴しています。

そこで、

「萌えアニメを好む男たちは、現実の女の子に相手にされないから、アニメの中にいる、自分に都合の良い女の子に思いを寄せているんでしょう?」というような問いがあった。

私もそう思っていたので聞いていると、岡田さんの回答は私にとってコペルニクス的転回で思わず感動してしまった。

「そうじゃない。萌えアニメを好む理由は、そんな安直ところにあるのではなく、男性の中にある、”かわいい女の子になりたい”、”無垢でピュアでいたい”という願望にある。男の中にも自分への可愛らしさ、無垢さを求める気持ちはあるのだ。

例えば北斗の拳などのマッチョなヒーローものに夢中になるのは、強い自分になりたい、マッチョで無敵になりたいという気持ちの表れ。それは萌えアニメを見て、可愛くなりたい、無垢でいたいという気持ちと同列にあるもの。

BLを求める女性も同様で、現実の男性に失望したから自分に都合の良い男性の世界にハマるのではなく、女性の中にあるかっこよくなりたいという願望があるからなのだ」

という見解だった。

「ああ、そうか・・・!」と今まで自分が考えていたことへの回答が導かれた気がした。岡田さんの回答という名の「1つの公式」を手に入れたことで2つの解が出てきたのだ。

自分が考えていたこととは何かというと2つある。

1)男女のアイデンティティは0と1ではなく、グラデーションである

2)人は本物の鏡ではなく、憧れを鏡にしている

知識のある専門家でないので、語る資格はないかもしれないけれど、LGBTという呼ばれる方々がいる。自分の性別や恋愛対象の性別がマジョリティーと異なると認識し、その思考や考え方に従い生きている方になると思うのだが(誤解があったらすみません)、本当にLGBTとマジョリティは簡単に分けられるのだろうか? と思っていた。

自分は男に生まれたけど、男でいることが嫌で、女になりたい。男性と恋がしたい。そして診断をもらい、手術もし、女性として生きることにした。そんな人生を選ぶ方がいて、大変な人生を強い信念で生きてきた人は本当にすごいと思う。

でも現実って、そこまで自我がはっきりできる人ばかりでないのではないかなと思うのです。

男や女と区別されながら、自分の性がそんなに好きでもなく「ああ、男(女)に生まれてたらなぁ」と思ったりはするが、だからと言ってどうしたらいいかわからずにそのまま生きづらさを感じている人もいるだろうし、異性のパートナーに求めるものが恋愛ではなく、時間の共有のみの人もいたりする。

自分は女性に生まれたけど、100%満足してるわけじゃなくて、80%満足、20%は男性になりたかったとか、自分は男性に生まれたけど、60%満足で40%は女性になりたい願望があるという人がいてもいいかもしれない。

人は100%異性を好きになるのではなくて、80%異性が好きで、20%は同性が好き、60%異性が好きで、40%同性が好き、とかもあっても不思議ではないかもしれない。

それを70%以上世間との一致のある人を男性とか女性とか決めるのはなんだかおかしな気もしてきて、生物学上男女は分けられるがアイデンティティは本当は100%一致する人ばかりでなく、以外に0〜100までのスケール上に存在するグラデーションなのでなないかな、と、先の「男性の中にある可愛くなりたい」という願望から考えて見ました。

もう一つ、2)人は本物の鏡ではなく、憧れを鏡にしている に関してです。

「他人は自分を映し出す鏡」と、いう言葉があります。これは、「自分の心の状態が、相手の態度に映し出される」という意味かと思いますが、相手がイライラしていたら自分もイライラしてる時だった、みたいなことで、使われている言葉かと思います。

それとは似て非なるもので、アニメにしろアイドルにしろ、スターにしろ、アニメや漫画の主人公にしろ、彼らに、夢中になるのは「好き」という感情よりも、「なりたい」という感情の方が強いからというのが先の公式から成り立つかと思うのですが、そうするといまの自分は「そうじゃない自分」になってしまいます。

人はそうじゃない自分を好きになれるでしょうか?

私はNoです。

そんな自分を見たくないから、本物の鏡に映る自分をみるより、スターを見てこれが自分だと思う時間を長く作りたいと思うのではないでしょうか。

人はパートナーや子供に自分にないものを求めると言います。

年収、容姿、若さ、能力、才能・・・。本物の鏡を見ても、これらは映りません。視界に広がるのは身の丈の自分です。でも、身近なパートナーや子供が憧れの形になれば、自分の視界には、憧れが映ります。それを自分と錯覚するのは、先の「他人は自分を映し出す鏡」現象であり、そのために人は、羨望を鏡にする生き物なのではないかと思うのです。


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