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MeeTooみたいな何か(応答の後編)

私は前回、福島で行われた芸術祭の運営の途中で受けたハラスメントの原因は、大学の組織構造にあるのではないかと問題提起をしました。今回はその話を書こうと思います。

まず、舞台となったアラフドアートアニュアルは、文化庁の「文化プロデュースによる 地域振興に関する調査研究 報告書」では概要と課題は以下のようにまとめられています(https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/tokeichosa/bunka_gyosei/pdf/h27_bunka_produce.pdf)。この文書は、文化庁から委託されたスウェーデンの、主に公共機関を対象とするコンサルティング会社がまとめたものです(私や町と利害関係はありません)。

2013年福島市郊外の土湯温泉町で始まった芸術祭。アラフドは「新踏土」と書き、新雪を踏み 固めて道筋をつくるという意味。原発事故による放射能汚染も、土湯周辺は当初から放射線量は低くかったが、旅館の廃業が相次いだ。年間25 万人の観光客が、7万人にまで落ち込んだ。
土湯温泉の青年部が中心になり、町の再生計画を主な2事業に集結した。1つは温泉の熱湯を利用した地熱発電、そしてもうひとつがアートによる町おこしだった。若手アーティストのユミソンを総合ディレクターに起用、2014年度は39 名のアーティストの作品が街中に展示された。
(略)
ユミソンはこの芸術祭を地域振興策とはとらえていない。芸術祭を催して町が活性化するほど、ことは簡単ではないと認識している。むしろ、質の高いアートを見てもらうことが重要だという考え方である。そして、参加アーティストに直接面談、交渉の上参加の可否を決めているところが特徴的。

実施概要は以下のようにまとめられています。

福島市が「土湯温泉町地区都市再生整備計画」として、都市再生整備計画事業のなかで、基本コンセプトに「こけし育む健康・湯の里土湯温泉」を掲げ、温泉街を中心とした20ヘクタールを対象区域に2014年度より総額21億円(5年間)の新予算を計上た。このアートフェスはその一環としてスタートした。

北田さんはこの芸術祭を町から切り離し、大学を利用した組織構造に作り変えようと、総合ディレクター(としての私)宛に「要望書」を提出しました。文章は穏当なように読めますが、虚偽が混じっているので、私のコメント付きで紹介したいと思います。

体調の悪いなか、ご対応いただきありがとうございました。メールでもお伝えしたように、当方としては、AAAに不可欠な重要な人材として引き続きAAA総合ディレクターの職を継続していただきたく思います(*1)。土湯温泉町の観光協会、実行委員会、および福島市、うつくしま基金のみなさんにとって、それが最善の選択肢であると考えます。

*1:人事権は北田さんにはなく、辞めさせる/継続させる意向を北田さんから提案するのはおかしいです。

ただ、今回の件につきましては、観光協会の要請もあり(*2)、この数日間ほどユミソン様の辞任を前提とした新体制作りのために、神野真吾氏と井上文雄氏がキュレーターやアーティスト、地域コーディネーターの調整に奔走されており、経緯説明のない場合、神野氏、井上氏の、他アーティスト、キュレーターへの信頼関係が損なわれてしまいます。この点に関して、ユミソン氏の総合ディレクター継続につき、井上氏より以下のような条件が提示されました。精査のうえ、いずれも相応に妥当性を持つものと思われますので、下記条件について承諾のほど、よろしくお願いいたします。ご異議等ございましたら、早急にご連絡いたただけると幸いです。

*2:観光協会は何も要請をしていません。
北田さん井上さん神野さんは、運営員会を無視し、町で政治力を持つ観光協会長へ、私を辞めさせるように働きかけています(辞任させるのに失敗したので、継続を選択しています)。再三書いていますが、観光協会は芸術祭の運営ではありません。

ユミソン様にご承諾いただいた後、実行委員会、観光協会、市、基金には、北田の方から説明にまいります(*3)。
 ご検討のほど、なにとぞよろしくお願いいたします。
        AAAアドバイザー。東京大学准教授 北田暁大(*4)

*3:北田さんは外部委託のディレクターのアドバイザー。
実行委員ではないので、福島市や基金の人には直接会えない/会うなら実行委員長も一緒にと、私からも町からも再三要求しているのに関わらず、北田さんは直接行政と繋がりたがっています。
*4:何かを推し進めたい時は、東大の肩書きを使います

新体制について
ユミソン氏の総合ディレクター継続にあたり、以下のような組織構成をお認めいただくこと

【アーティスティック・ディレクター】
井上文雄(CAMP)
神野真吾(千葉大学)
■■■■(■■■■)
■■■■(■■■■)
■■■■(■■■■)

【エデュケーション・ディレクター】
協議のうえ決定

【ワークショップ・ディレクター】
■■■■(■■■■)

【外部評価対応委員(専門家委員会)】
委員 ■■■■(■■■■)
委員 ■■■■(■■■■)
委員 ■■■■(■■■■)
委員 ■■■■(■■■■)

【地域広報コーディネーター】
地域担当 ■■■■(■■■■)
地域担当 ■■■■
広報 ■■■■

ここで挙げられている黒字にした大学人たちは、芸術祭や土湯温泉町に下見に来たこともない、北田さん井上さん神野さんの友人たちです。町の人たちの意向も聞いておらず、町の人たちの名前も入っていません。

2. 今回の件につき、ユミソン氏の名義においてすべての参加アーティストに向けた弁明書を送付すること。当該弁明書には以下の内容を期すこと。
1. ユミソン氏の体調不良にともない、辞任の意向が示されたため(*5)、井上氏および神野氏、北田氏が、観光協会の委託を受け(*6)、速やかに新体制づくりに奔走したこと
2. 井上氏、神野氏、北田氏にはなんら状況の混乱について責任がないこと
3. 井上氏、神野氏、北田氏に対して否定的な評価を含んだ文書、メール、通信を行ったアーティストに対しては、三氏に非がないことを説明すること(*7)
4. 三氏に対して信頼回復のための意思があることを明記すること

*5:私は辞任の意向を示していない
*6:観光協会は委託していない。観光協会は芸術祭の運営委員会ではありません。仮に委託したとしても、観光協会からの委託には正当性がありません
*7:北田さんたちに「非がないことを説明すること」というのは、北田さんが私のゴーストライターとなり、メールを書いたことは以前にnoteで告発しました。

3. 今後の組織運営において、ユミソン氏、神野氏、井上氏が同等の権利を有すること(*8)。
1. 人事、人選、企画立案においては各氏が一票を有し、協議のうえ、決定すること。合意が得られない場合には、多数決とする。
2. 1の決定を実行委員会は最大限に尊重すること
3. 本事項について、ユミソン氏はすべてのアーティストに周知すること(*9)
4. 組織運営において、ユミソン氏、井上氏、神野氏の間に見解の齟齬があり、かつそれが対話において解決不可能な類の問題である場合には、上記ディレクター、コーディネーターの投票により決定すること。なお、この点については、運営委員会は特段の事情がない限り、投票結果に対して異議を唱える権利を有しない。運営委員会と投票の結果に齟齬がある場合には、土湯温泉町観光協会長の判断に委ねること(*10)。
5. 2015年以降のAAA運営について(*11)、ユミソン氏、井上氏、神野氏が同等の権利において協議し、その協議結果を運営委員会に提示すること。
6. 上記の件につき、違背があった場合には、職責につき責任をとること。

*8:2対1で私の発言を封じるためと思われます。またこの提案ですと、アーティスティックディレクターは5名なので、残りの3名の権利がないことになっています。
*9:北田さんは外部委託のディレクターのアドバイザーで、運営を担っていません。運営委員会の構造を解体して、町で最も影響力のある観光協会を使い、自分たちに都合の良いように、友人たちで組織体系を作り変えようとしています
*10:観光協会長の不安(福島県のまちづくり資金や、東電からの補償打ち切り)を逆手にとり、北田さんは自分たちの意見を聞く関係を作り、その関係を利用しています
*11:この事業の外部委託は年度ごとであり、なおかつ委託されていない身でありながら来年度の運営をするのはおかしいです

以上のことから、この虚偽の入ったこの文書は、福島の青年たちが立ち上げ、福島市と共同開催している事業に対し、東京大学の名前を使って町の権力者に圧力をかけ、自分たち大学人が実権を握れるような組織体制に作り変えようとしている書類と読み取れます。

加えて、これを北田さんたちが自ら実行委員会へ要望するのではなく、総合ディレクターの私が執り行うように要望をする(このシナリオが真実になるように演技する)のは、私には利権争いに慣れた社内/学内政治の領域の話に思えます。

この文書を見た時に私は、仮にこの書類が通ったとしても、突然こんな数の人間を雇用する予算はないと説明しました。北田さんからは、科研費等でまかなえると返答を受けました。なぜ町の芸術祭の運営を大学の科研費で行うのでしょうか。

冒頭で触れた文化庁の資料には2014年度より総額21億円(5年間)の事業と書かれていますが、2011年に震災があり町の経済は打撃を受け、2012年に準備をし、2013年は予算がありませんでした。何もない中で成功を収めたからこそ、2014年は福島市との共同開催が叶い、これから青年たちは町を育てていこうと行動をし始めたところなのです。その事業の成功の兆しが見えたところを大学の名を使い、学内政治のような書類で彼らの手中に収める権利は北田さんたちにはないと思います。

また町の実際の経済の潤いよりも、町の若者たちが町の運営の中心を担っているかどうかが、町の活気に心的影響を与えているというレポートを作った北田さんが、震災後の町の人々から実権を取り上げる理由はなんなのでしょうか。

北田さんたちは芸術祭の運営を担うことに失敗したら、大学に戻って学内で別プロジェクトを立ち上げれば(他の地域に同じことをし続ければ)良いかもしれません。私の告発に対しても、自分でつくった委員会をAMSEAで第三者委員会と公表し、調査を曖昧にすれば良いかも知れません。しかし流された悪い噂のために多くの助成金を払い戻し、芸術祭を継続できなかった町の人たちはどうすれば良いのでしょう。

この書類の他に、北田さんが「学長と自分で直々に福島県と助成団体に持って行く」予定だった「東大公式文書」があります。それの受け取りを私が拒んだ(実行委員に送って、それから届けに行きましょうと提案した)ので、私に対するハラスメントも激化していきました。

東大公式文書は【1】私のディレクターの手腕に不備のないこと、【2】私と北田さんはドイツでWSを行ったが不倫関係はない、北田さんは他の人の科研費で活動したがこれも妥当だということが書かれており、【3】は以下のような内容です(長いので【1】【2】は省略しましたが、必要ならば公開します)。

【3】福島での活動に関して
 今後は福島西部地域での動向とも連携をとりながら、被災地域のすべての方にとって、ご納得いただけるよう、説明責任を果たして参りたいと存じます。【2】で記したドイツでの企画は、今後は、ベルリン・フンボルト大学やボン大学、ライプツィヒ大学、エアランゲン大学、フランクフルト大学、国際交流基金などと相互交流を図り、いずれはイギリス、スペイン、イタリア、フランスなども、福島市で開催されるアラフドアートアニュアルと連携を取り、芸術家や研究者の場の構築へとつなげていきたいと考えております。
 何よりも重要なのは、福島において日常を様々な形で過ごしているみなさまの複雑な立場を、そのものとしてしっかりと理解し、伝え、表現し、ともに考え抜いていくことだと考えており、芸術を通して福島をめぐる対話の可能性を広げていく所存です。

この「東大公式文書」は、私にとっては願ってもない出世(?)に繋がるような文書です。私のディレクターのやり方に不備はなく、芸術祭は外国の名だたる大学と提携したWSを行い、資金は国際交流基金も頼れる。そしてこの東大公式文書を北田さんが用意していた頃は、芸術祭の書籍も出版する予定で、私は出版社の人とも打ち合わせをしていました。

しかし北田さんは、この文書を届けるのに「実行委員長を通す必要を感じない」「行政機関として公的なのは、観光協会と市と県、基金です。「個人的な信頼関係」と「組織間の信頼関係」は分けて考えるべき」と一蹴して、実行委員を無視し続けました。実行委員を通すのは、個人的な信頼関係ではなく、組織のルールだということを私は北田さんに何度も説明しましたが、理解をしませんでした。

運営のルールを守らないのを理由として、私はこの文書を北田さんが直接行政に届けるのを拒みました(そうして私と町の人々に対するハラスメントが激化し、私はディレクターをおろされそうになり、芸術祭は翌年からの存続がなくなりました)。

私の告発後、北田さんからのnoteの応答を読み、私は少し理解したことがあります。北田さんからの応答には「海外での講演・WS、出版社探し等、一貫して誠意をもって氏の構想に尽力したつもりです」とあります。私に送られたかつてのメールでも、北田さんは「海外との連携はなかったことに」すると書いています。

海外での講演は芸術祭にとって、長期的に良いこと(新聞やテレビなどのメディアで告知してもらえるのは、短期的に良いこと)です。

しかしそれは目的ではありません。大学として研究者として、科研費獲得も含めたプロジェクトとしてなら、それらはすぐに必要かもしれませんが、まだ2回目の芸術祭にとって絶対条件ではありません。あったらすごく嬉しいのはもちろんですが、すぐに嬉しいのは私や北田さんのキャリアにおいてです。

私は、「出版はなかったことに」「海外はなかったことに」と事あるごとに北田さんから言われ続けましたが、その意味をよく理解していなかったのだと、今になって思います。本は後に残る大切なものなので、出版はしたかったし、執筆も頑張りました。「なかったことに」と言われると困り、なんとか取り繕おうと努力しました。しかし北田さんからの「なかったことに」というメールの、別の意味を読み込まずいたのだと思います。

私が、自分の名前の出版物や海外の大学でのカンファレンスでの発表経験が、倫理や社会通念よりも大切であれば、それは馬の目の前にぶら下げられた人参と認識して従っていました。北田さんの紹介してくれた出版社から出版される書物が展覧会のカタログ代わりになると考えていたので、「なかったことに」と言われると、とても困りましたが、一方で私は、海外(特にドイツ)が必要なのは北田さんだと考えていました。

今回のハラスメントを受けた原因の一つに、私が大学の組織構造を内面化した行動しなかったこともあるのかもしれません。

私は、既婚の事実を無視して北田さんの申し出を受入れ、また喜んで運営委員会を無視して芸術祭を町から取り上げ、県や市や助成団体に「東大から偉い人たちがきますので準備をしてください!」と連絡をすれば、今頃は彼らと一緒に国際的なキャリアを積んでいたのかもしれません(その行動を思いつかないところがうだつの上がらなさかもしれませんが...)。

実際、「東大の力を借りるべきだ」や、恫喝まがいの「ユミソンの言動によっては大きな組織が動く」と夜分に実行委員のメンバーの元へ電話をかけるなどし、大学の組織構造を内面化して行動していた井上さんは、現在も北田さんとともに大学内で活動しています。

北田さんは、無名で無力なアーティストの私に、「人参(キャリア)」を与えてくれようとしていたのに、私は無視し続けた上に「町の運営委員を通してください」と言い続けました。

北田さんは、もちろん北田さんが提供している「人参(キャリア)」を私は認識しているのだろうと思って発言していたのかなと、今になって思いました(実際に当時、神野さんが「下駄を履かせてもらっている」のに、言うことを聞かずにどういう態度だ、「ユミソンの全キャリアを潰してやる」と強い語気で発言していると北田さんから注意を幾度か受けています)。 

しかし「福島」や「芸術」は、よい研究対象かも知れませんが、研究対象の町の構造を、自分が操作できる大学の構造に置き換えようとするのは、社会学的にみてもよくないと思います(私は社会学を知りませんが、研究対象を自分の都合で根底から改変するのは良くないことはわかります)。

そして学問を抜きにしても、自身の言うことを聞かせるために、誰かに強い圧力をかけるのは、道徳的によくない事だと思います。ルールを無視しつづけるのは、社会人としてよくないと思います。

この告発は次の誰かにハラスメントが続かないようにと書き始めましたが、「ユミソンの運営の問題」と話をずらされたので、私は運営について応答しています。運営について考えると、当時の彼らの町の人を対等な人間として扱わない態度ばかりが思い出され、せめて彼らに町の人たちに謝ってほしい気分になります。

しかし町の人たちが今、謝罪を望んでいるわけではありません。謝ってほしいのは私の欲望です。それは私の芸術祭を続けられなかった不甲斐なさを町の人への謝罪に投影しているだけかもしれません。ですので、私から彼らへ町の人への謝罪は求めません。

おしまい(だと思います)。


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