MeeTooみたいな何か(応答の前編)

「MeeTooみたいな何か」曖昧なタイトルーMeTooは有効なのか
前回の告発で私は、「MeToo」と書かずに「MeeToo」と書き、さらに「みたいな」「何か」と三段階にまどろっこしく書きました。

「同じような状況にいる誰かにこの声が届いてほしい。声を聞いてくれる誰かがいることで私は心強くなる。誰かも自分だけじゃないとわかって心強くなる。」これからを乗り切れる「連帯」。MeTooにはその効果があります。

一方で、負の側面もあります。
書くことで自分の状況を客観視できるかもしれませんが、その当時のことがフラッシュバックして、さらに辛い気持ちになり、心的負担は大きいです。それにMeTooをしても何も変わらない現状もあります。被疑者を(同じようなハラスメントをしている)周りの人々がかばい、告発前と同じ役職のまま同じ仕事を続けている。さらに昇進している業界人や政治家や大学人の事例は、この文章を読んでいる人たちも知るところかも知れません。

現状は昔より声を出しやすい。しかし、声を聴き届けてくれる/受け止めてくれる場は圧倒的に少ないと私は感じています。私は告発を心許なく行なっています。私は日本において「MeTooは代償が大きいが、得られるものは圧倒的に少ない」と感じています。しかしそれを踏まえてもなお、告発しなければと思う、連帯が必要な状況もあります。

ということで、MeTooに懐疑的な私がMeTooをしたので「MeeTooみたいな何か」と曖昧なタイトルにしました。最初に「MeeTooみたいな何か」を書いた時の目的は、「私の後の人のために」と、「抑止効果を狙って」でした。法の裁きを求めていませんでした。抑止効果とは、告発された人が多少なりとも「あの時は酷いことをしてしまった、もうやめよう」と思ってくれることです。告発された人の周りの人も、「あんな風に書かれているから、行動に気をつけてね」と見守ることです。

前回、私はnoteに私の過去のメールだけを抜き出して公開しました。彼らのメールはハラスメントの「証拠」となってしまうので公開しませんでした。つまり、彼らは周りの人に「ユミソンは嘘つきだ、シカトしよう」と言えばその言葉が通ってしまうような設定にしました。私の文句を言いながらも、これをきっかけに自らの行動を省して欲しかったので、私は、私にできる譲歩を、最大限に彼らにしました。

ただし、この考え方には大きな落とし穴があります。思考回路の違う人たちに、反省を促すことができるのか。反省とは、ただ私の思考回路(道徳観や倫理観)に合わせた考えを促すことではないのか。それはその人の根幹に関わることなので、不可能に近いのではないか。

私は法ではなく、彼らに倫理で動いて欲しかったですが、北田さんは告発を受けた後、自ら第三者としての検証機関を作り(自分で作ったら第三者とは言わないと思いますが)、芸術祭が行われた福島へ自ら連絡を取りました。確定していなくとも、加害側だと言われている方が被害側へ連絡をすることは倫理に反しています。また本人が検証や影響を与える検証機関に公平性は望めません。自らの行動を省するのではなく、自分の立場のために更に相手への思いやりのない行動に出ました。

私は今後、証拠は求められれば然るべきところに提出することに決めました。私はハラスメントを受けている当時、ある人物にその都度、電話の内容をメッセージで送っていたいので、電話があった日時や内容のログが残っています。

北田さんへ、本題に入る前にーセクハラとは何か
私が北田さんから「セクハラはされていない」けれど「婚姻関係を求められた」と書いたことを不思議がる人が多かったと思います。実際に私もどのように書いていいのかよくわかりません。性的な強要はなかったので、「セクシャル」なハラスメントだと思いませんでした。

日本は強姦されても「セクハラではない」と言うくらいの国だと思っているのでセクハラに対する心の敷居が高いのかもしれません。ただ、告白された頃からハラスメントがひどくなり、時期が合致するので書きました。

私がセクハラだと思わなかった理由は
2人は、性的な接触がなかった、なおかつ「よい雰囲気」になることもなかった。
北田さんは、私にした告白を、私が告白の事実を「カードにして」「何度でも脅す」と仮定をし、現実になるのを恐れて圧力をかけたので、パワハラだと思った。
北田さんは、私以外の女性とも婚姻関係を考え、揺れ動いているようなメールを書き、なおかつ「セクハラとパワハラはしたくないのでその場合は教えて欲しい」と書いている。
つまり「複数の女性を対等に扱わない態度をとりながら、ハラスメント側になるのは恐れている(自分の行動の意味は理解しないが、立場は気にする)」と私は理解し、自分の立場を気にするのはパワハラだと思った。
北田さんは、自分の行動の意味するところに気がついておらず、高圧的な態度が続いたので、パワハラではあると思った。

北田さんは、私が告白の事実を使って脅すと仮定をし、現実になるのを恐れて圧力をかけました。これは一般的に密室でパワハラやセクハラをしてしまった/したことを理解した人が、それを隠すためにおこなう行動に共通していると思います。

一方、私が北田さんからの高圧的な態度を避けるなら、私は申し出を受けるしか選択肢がなくなり、それはセクハラと言います。この状況では、いずれにしにしてもパワハラまたはセクハラのどちらかを受けてしまいます。

ここに私からのメールをつけておきます。
From: yumi song <◽️◽️◽️@gmail.com> To: KITADA akihiro <◽️◽️◽️@iii.u-tokyo.ac.jp> 日付: 2014/05/28 16:59 件名: Re: 打ちあわせ 送信元: gmail.com
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「・・・恋愛ってうまくいかないと、多かれ少なかれそういう風に思いがちでしょう。それを社会的な権力と結びつけて話したり、攻撃してくるのが、嫌です。これからも永く友だちでいたいと思っています。・・・社会的な権力を持っている北田せんせいというのは知っているので、そんな先生が既婚者の私に不倫をもちかけるメール(違うといっても一般的にはそうです)は、北田せんせいにとって危険なので、私の携帯から抹消しますねと、目の前で消しましたよね?北田せんせいも消した方がいいですよと提案したけど、僕は残しますって選択していましたよね。」
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福島の芸術祭があったのが、2014年。私が告発をしたのは2019年(この記事は2020年)。その間に私は、北田さんからこのような事をされたと広く口外をしていません。北田さんは社会学、私は芸術の分野の人間です。私と北田さんは同じ業界にいません。北田さんを貶めて私の地位を確保しようということではありません(党派性的な動きをしようというものではありません)。

なぜ今になって私が広く公開したのかを考えてください。私にしたように今後も誰かに権力的な関係で物事をすすめたり怒鳴ったりするのをやめて欲しいので、これを書いています。注意して欲しいのは、これは誰かの代理投稿ではありません。私は私の痛みをここに共有しています。

井上さんへ、復興資金は流用されたのか
井上さんは、「芸術祭は「公金が」使われているので、説明責任があり、助成金は「復興資金」の流用と言われかねない」という内容のメールを応答として自ら公開しました。
https://docs.google.com/document/d/1IznDBQef7Ff_JxqsaocaBCDJ7_hADuAOvq30Bq-ga3E/edit

しかし、井上さんはキュレーターとして2014年の4月11日の運営員会発足の記者発表に立ち会っており、井上さんは運営の組織の構成、助成金の出所(復興資金ではないの)を実際に見て聞いています(*写真:(上)新聞掲載、(下)記者発表時、私のスマホ写真に日付と位置情報のある井上さんが写っています)。

井上さんが出席した記者発表では運営が誰かももちろん発表されており、同席した運営が旅館経営者だけではないのも見ているので(井上さんも上がった壇上に並んだ内、旅館経営者は実行委員長だけです)、井上さんのネット上の発言は故意の虚偽です。

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助成元はアドバイザー契約の書類にも記載され、なおかつ第三者が見られるウェブサイトやチラシにも記載されており、復興資金ではないのは明らかです。

そして町の経済が半分になっているのは、ホームページや印刷物でも説明しています。井上さん北田さん神野さんは、作家紹介も兼ねているその印刷物を見ています。北田さんは授業の一環としてその印刷物を作るに至ったレポートを2013年に1泊2日のフィールドワークを学生とともに来て作成しています。北田さんは学生によるレポートを通して、その当時の福島の経済状況と心的状況を理解しています。

井上さん北田さんは、記者会見の壇上にいる立場/レポートの元データを作成する立場です。それを知らないふりをして町の人を「金持ちの遊び」というミスリーディングを行なっています。

フィールドワークで作成したレポートでわかったことは一言でまとめると「町は実際の経済状況より、若い世代が町の中心を担っているかどうかで、活気というものを感じている」というものでした。震災前に町の青年部は、年配者から世代交代を行いましたが、まだ青年たちは成熟しておらず、当時は花火を上げるような単発的なイベントしか企画していません。

提出されたレポートは「この芸術祭は初めて青年部が企画した、町の中長期計画であり、青年たちが成熟を始め、本格的に町を担う存在になる、町の人たちの心的状況を方向付ける象徴的なイベントになるだろう」ということを予見させるようなものでした。4月の段階で井上さんと北田さんは町の人たちの青年たちに対する期待を知っています。

その前提知識があるにも関わらず/あるからこそ、井上さんらは「公金/復興資金の流用ではないか」と、アーティストたちにメールを流し、フェイスブックに書き込みました。

井上さんらによる書き込みがフェイスブックやメールで多くのアーティストに流されたことにより、町はミスリードによる悪い噂を払拭するために、多くの助成金を返金しました。そしてその「復興資金」と疑うお金からキュレーターフィーを、井上さんはキュレーターを降りた後に受け取っています。

町の切迫した経済状況を知っていながら、一般の人が持つ「旅館経営者→金持ち」「助成金→復興資金」という印象のミスリードを促す導線を作り、フェイスブックやメールで流布しながら、そのお金をキュレーターの仕事を行わずに受け取りました。

復興資金を町の金持ちが遊びに使っている(のだろう)と井上さんは虚偽の発言をし、なおかつ告発対象の助成金を受け取り、町の人の悪事を暴くため自分は中立的な立場であるという態度を取るために公開で質問しています。このような態度はこのメールに限らず、芸術祭の運営上の他の場面でも何度も見受けられました。

こういった背景を踏まえると、このような質問は、疑問を投げかけるのが目的ではなく、自分に都合の良い言論の流布が目的のように見受けられます。私は、井上さんの虚偽の発言や言動が改められることを望みます

※同様に井上さんが書いた、私が作ったとされる「みんなのAAAというコンセプト」等は、コンセプトにあった「(震災後に生まれるであろう)トレランス」についてのミスリードかと思います。それは当時も指摘しています。

From: ◽️◽️◽️@gmail.com To: 日付: 2014/08/07 20:31 件名: こんにちわ。ユミソンです。 送信元: gmail.com
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「私としては運営内部のことをアーティストにお知らせし、制作の妨げになるのは不本意です。井上さんがフェイスブックに運営に対して不穏な書き込みを、アーティストに見えるようにされているのは、アーティストの士気を下げ、制作の妨げになるのではと心配です。『「みんなでつくるAAA」というコンセプト』は初見です。私の発言を井上さんなりに要約し、それをコンセプトとして捉えて私が発言したという想定で書き込まれているのかなと思いますが、私はコンセプトとして「みんなでつくるAAA」という発言はしていません。地域系アートプロジェクトに起こりうる問題を話す場を持ちたいというのは、良いことだと思います。ただ、そのやり方が適当ではないように思います。」
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ボトムダウンから脱却できず、芸術祭は潰れたのか
北田さんと私との痴情のもつれが芸術祭を解体させたのか。神野さんがフェイスブックに書いた通り、北田さん井上さん神野さんという「プロフェッショナルのいうことを聞かなかったから」なのか。「プロフェッショナル」なアカデミシャンは北田さんと神野さんだけではありません。他にたくさんの研究者が現地に入り、活動をしています。運営については彼/彼女たちの活動も踏まえて広く話し合われるべきだと思います。

しかし一方で私は、神野さんのいうことを聞かなかったからではなく、もっと根本的なお互いの理解のなさが由来していると思います。私は、町の運営と大学人の彼らの組織のあり方の理解が大きく違っていたからだと思います。

井上さんと北田さんからの反応があってからだいぶ時間が経ってしまいましたが、それまでなぜ私が応答しなかったのかというと、ネットで応答してもミソジニーの知らない人たちが気軽に誹謗中傷をするので、それを見るのが嫌だったからです(心配してくれた人たち、ほったらかしでごめんなさい)。

応答の後半では、北田さんからの書類を中心に、いくつかの資料を見つつ、本題の組織のあり方について書こうと思います。



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