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わたしたちが当事者だったころオンラインイベント「当事者セラピスト押富俊恵さんの足跡をたどる旅 『車椅子に乗った人工呼吸器のセラピスト』を通して」感想など

もう1か月ほど前となりだいぶ旧聞になってしまいましたが,2月3日に行われた「わたしたちが当事者だったころ(以下,わたころ)」というグループのオンラインイベント「当事者セラピスト押富俊恵さんの足跡をたどる旅 『車椅子に乗った人工呼吸器のセラピスト』を通して」に参加しました.2021年に亡くなられた,押富俊恵さんという方の足跡をたどるというテーマで,ジャーナリストの安藤明夫さんが書かれた「車椅子に乗った人工呼吸器のセラピスト押富俊恵の5177日」を通して感想など述べ合い,押富さんをもっと知ろうという内容でした.

押富俊恵さんについて

押富俊恵さんは、作業療法士として働いていた時に重症筋無力症の診断を受け、25歳で人工呼吸器を装着、28歳からほぼ寝たきりに。 作業療法士としての活躍の道が絶たれ、24時間人工呼吸器が必要な身となった後も、独自のリハビリで奇跡的に「話す力」を取り戻し、患者・障害者になって気づいたことを援助職たちに伝える講演活動を始めた。 電動車椅子で外出するうち、障害者が暮らしやすい街づくりに関心を抱くようになり、行政の施策にも提言するなど、地域に大きな足跡を残して、2021年4月に39歳の若さで旅立った。 (「車椅子に乗った人工呼吸器のセラピスト/安藤明夫」より)
たしかジブンが最初に押富さんを知ったのは,作業療法ジャーナルで2013年に押富さんが連載をしてあったものからと思います.とは言え読んだ記憶があるのですが,それ以上に覚えていることがなく,今となってはそれはどうよというツッコミを入れざるを得ませんジブンに.
その後改めて押富さんについて知り,興味を持ったのは,ジブンが2017年に適応障がいとなり休職をし,復職後暫くして作業療法ジャーナルへその休職経験を書くという中で,その時に参考とした『作業療法NOVA「当事者」と作業療法/田島明子編集』というムックに押富さんが書かれていたのを見てからです.他の方(わたころ運営の山田隆司さんも書かれてますね)のこともそうですが,当事者でありセラピストでもあるという立ち位置による様々な思いが,実践にまで昇華していること自体のすごさを,ジブンも僅かながらそうであるという自覚のもとに,これから何を活かせば良いのかを考えるきっかけとなったと振り返って思います.

安藤さんの本「車いすに乗った人工呼吸器のセラピスト」について

 その後,安藤さんがForbesJapanに連載していたものは,Yahooニュースで時折流れてきていまして,それらをその度に読んでいました.それがまとまって1冊の本となったというので,さっそく購入して一気に読みました.まとまって読むという経験により,押富さんの人生の流れの中で,その時々にやりたいこと,やらないといけないこと,やれなくて困っていること,新しくやりたいこと,などなどが「今ここで」という連続性を伴って行動されていったんだなと改めて思いました.一人でなく周りを自然と巻き込む力というすごさを,特に感じたように思います.

参加した理由

 わたころの運営である田島明子さんを「障害受容再考」という本で知り,そこから著作や論文をいくつか読んでいたんですが,そこからSNSで知り合いになり,去年の日本作業療法学会で初めてお会いした際に今回の本を読んでいることを話したら,本についてのイベントがある時に参加してほしいと言われました.その時はよろしくお願いしますとお答えし,今回のイベントにお誘いしていただき,参加したところです.

イベント内容

今回のオンラインイベントですが,まずこの本の著者である安藤明夫さんから,本を通して押富さんが伝えたかったであろうことをピックアップし,背景にある思想を解説していくことがあり.次に参加者各々から本その他押富さんについて自由に語るというものでした.参加者には押富さん自身を知っている方も多く,安藤さんから述べられた押富さんについてを補足,また違う視点から述べたりなどがありました.ジブンはほぼ本人が書かれた文章や安藤さんの文章を通して想像した押富さんのイメージがあるだけでしたので,そうでない生の言葉を聞くのは,ジブンが勝手に抱いているイメージを良い意味で崩して新たに肉付けするような感じで面白かったです.特に「とても強い人というイメージがあるかも知れませんが,そうでなくいろんな闘いを通すことによって強くなっていったんですよ」という言を聞いたのは,ああ最初から強いなんてそうそう無いし,でもそれだけ大変な体験を通じて押富さんという人が作られていったんだ,という思い至りに震えました.そういうのが社会を変えていくことになるけれど,つまりそれだけまだ社会は成熟したものになっていないというのが厳然たる事実であると,それはジブンが精神障がいを抱えた人から受け取るメッセージでわかっているはずなのに,わかった振りをしているのかもというのにも繋がる印象でした.まだまだ般化が足りないです.

全体として

スピーカ並びにお話をする人は殆どの方が何かしらの形で押富さんと交流があった方たちでしたので,その為人というのをいろいろな視点とその人というフィルターを通して知るという機会になったという感じです.本人が文章という形で示した思考や感情や思いと,そして安藤さんというジャーナリストが直接交流していきまた間接的に取材していって表出された文章により押富さん像をジブンは作り上げていっていたのですが,通常ならそこで終わっていたのを,こういう語りによりもっと深く広がっていったものがあった感じです.特に話者によるエピソードなどで,押富さんををより知ることになったかなぁと思います.彫刻は写真や絵で見るだけでは不十分で,直接あらゆる位置から眺めていってこそより深く知ることができるように,とは言え押富さんはもう現世にはいらっしゃらないですが,いろんな人の語りがそのような見方の一助になったなぁと思います.神格化するのではなく,人間としていろんな人へ有形無形に遺していったものを,これからも語っていくことで繋げていくことができるかも知れませんし,少しでもジブンの在り方として関わるものごとにとって良い方向になるようにしていきたいところです.

後半(押富さんと中井久夫せんせい)に続きます.近日アップ予定.
というか今回のもまとまらないままずるずる時間が過ぎて行って,中途半端だけどいいやとアップしました.適宜修正予定.

プログラマを経て作業療法士へ.精神科病院で病棟やデイケア,通所リハなど渡り歩いた後で自立支援事業所へ.主な担当領域は精神障碍を持つ方の生活支援,特に就労支援が中心.大切な作業を大切に,がモットー.