同人誌な日々

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 高校生の時、美術部に入っていた。美術部であるからして、美術部らしく石こう像を囲んでデッサンをしたり、油絵を描いたりなどする。そんなふうに確かに絵も好きだったが、正直なところ、アニメやマンガはもっと好きだった。そんなわけで、美術室の片隅でマンガ好きの同好の士と1枚の紙を四方から囲み、だらだらとオタクな話をしながら落書きをするのが何より楽しい時間だった。


 だがちょっとした転機が来た。部員の1人が漫画同人誌を持ってきて、刺激された数人の部員が自分たちも、と本作りにとりかかったのだ。私も誘われたのだが、まだストーリーマンガを描いたことがなかったので、イラストを描かせてもらった。初めてスクリーントーンを貼ったのもその時だったと思う。問題は印刷だ。10円コピーも無い時代、メンバーの知り合いのコピー機で印刷し、皆で紙を折ってホチキスでとめた。簡素な本だが、記念すべき創刊号。美術部の顧問は妙なことを始めた私たちにあきれつつも、見守ってくれた。


 次はイベント参加だ。作った本を同人誌即売会で売るのだ。この時松山で開かれていたイベントは『まんが・せえる』という。松山初にして唯一の同人誌即売会だった。一体どうなるかと思ったが、これが案外、売れた。本を目の前で手に取ってもらうドキドキ感、買ってもらえた時のうれしさ…、これは今でも変わらないのだが、高校生のやる気スイッチを入れるのには十分。発信する側になれたことがうれしく、同人誌作りにすっかりはまってしまった。


 『まんが・せえる』では他サークルや全国から委託されたレベルの高い同人誌も手に入れることができて大いに刺激を受けた。当時アニメファンの間で話題になっていたDAICONアニメを初めて見たのもここだった。今は「新世紀エヴァンゲリオン」で有名な 庵野秀明氏らが学生時代に作ったアマチュアアニメで、激しい動きに目を奪われた。手作りの8ミリアニメを上映することもでき、美術部の先輩は実際にペーパーアニメを作っていた。松山で、そんなごった煮ともいえる自由でクリエイティブな場を味わえたのは幸運な事だった。その後関西に出てからも同人誌活動を続け、今に至る創作につながっていく。


 余談だが、前回の「道標」で書いた数カ月遅れのガンダム放送。これは、アニメファンによる署名嘆願活動によって実現したものだったと当時の事情に詳しい方にお聞きした。その署名活動メンバーが、『まんが・せえる』も立ち上げたのだという。地元の「先輩」たちの好きなものにかける熱意が、随分私の「道標」になってくれた。


(2020年3月1日 愛媛新聞「道標」より)

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