妊婦は闘っている

道標カット06

20代半ばで妊娠出産を経験した。子供ができたこと自体はうれしかったが、やはり何もかも初めてで、とまどうことばかりだった。つわりや様々な体の変化、食生活にも気を付けなくてはならない。出産を終えた時は心からほっとした。
 ある日テレビを見ていると、「妊婦がもたもた歩いていると突き飛ばしたくなる」と言い放つ男性がいた。最近も「邪魔だ」と妊婦のおなかを蹴った不届き者がいたが、そんな気持ちで妊婦を見ている人がいるのか、と悲しくなったものだ。
 妊婦は闘っている。腰は胎児の重さと闘い、全身が貧血と闘い、眠気と戦い、様々な不快症状と闘っている。出産は時に命がけ。より深刻な疾患と戦っている妊婦さんもいるし、皆が大なり小なり不安と戦っている。けれど、それは外からは見えない。おなかをなでながら幸せそうに歩く自己完結した姿に見えているらしい。
 ふとイメージが浮かんだ。大きなおなかをボディーアーマーに包んだ妊婦戦士の姿だ。彼女は素早い。人ならぬものを孕み、その力で星の裏側まで飛ぶ力を持つ。しかも彼女が戦わないと人類が亡びる。誰にももたもたしているとは言わせない。
 その後話の肉付けには何年もかかったが、ついに商業連載としてSFマンガ『WOMBS(ウームズ)』が始動した。いざ戦争物として妊婦戦士を描いてみると、当たり前なのだが非人道的な話なのである。時々「こんな話を描いていいのか」と我に返るときもあった。そんな時、妊娠経験のある、時には妊娠中の読者さんに「面白い」と言ってもらえるとほっとしたものだ。戦争物であるに関わらず、実体験からくる「妊婦あるある」を織り込んであったし、自分が物語に求めた、現実ではありえない痛快さもちゃんと伝わったのがうれしかった。戦いを可視化するのだ。
 もちろん現実には、ゆっくり動くしかない妊婦をそのままでいたわる方がいいに決まっている。マンガにするにしたって、現実の問題を描いて妊婦の大変さを皆にわかってもらう方がいいに違いない。最近では産婦人科における様々なケースを描いたマンガ『コウノドリ』は役に立つし感動的だ。
 でもやっぱり私はSFが好きなのだ。『WOMBS(ウームズ)』は完結後ありがたいことに日本SF大賞を受賞した。受賞後さらに読まれ、妊娠中に見た悪夢のようだ、という感想を頂いた事がある。私も妊娠中はよく悪夢を見た。変わっていく体に心がついていけず、夢がバランスをとろうとしていたのかもしれない。悪夢もまた、日常の一歩を進めるために必要なのではないか、と私は思う。

(2020年7月19日 愛媛新聞「道標」より)


追記

「WOMBS(ウームズ)」について書く機会は今まで何度かあるのだけども、その時その時で結構違う。今回はタイトルの内容にしぼり書いた。それにしても、発想の後追いという面があるのは否めないが。最も即物的な面から、「これは描かなくちゃいけないと思った」と公に言えること、さらに言葉にしても??となってしまうものまで、色々ある。今、番外編を描いているその理由はいろいろだが、キャラが動き回るところが見たかった、というのもまた大きいな、というのも正直な気持ち。あ、そういう動機はWOMBSに限らないし、そういや他の回で書いたっけ。とにかくどっちの角度から書こうが2枚半では言い切れないし、逆に言うべき事は何もない。作者ってほんとめんどくさい。

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