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好きだって聞かせてくれよ

私の勝手な思い込みというか、自意識過剰だろうが、一人娘で何かと両親に心配をかけているだろうなという自負があるので、ひと月に1回程は実家に帰って両親に顔を見せるようにしている。単に実家の猫達に会いたいのもあるが。
先日、実家に帰った時。ショックだった出来事があってさ。普段から父とは込み入った話をする事はなく、挨拶と事務的な会話ばかりなのだけど。向こうも特に私に干渉するような事はしないのね。でもこないだ帰った時は何故かやけに張り切って、俺がゆみに夕食を振る舞うなんて言ってスーパーマーケットで高めのマグロの柵と、高めのステーキ用の牛肉買ってきてさ。まぁマグロは一口大に切って刺身にすれば良いだけなのだけれど、肉は焼いて何かしら味付けをする訳じゃ無いですか。その味付けのソースにケチャップを使いたかったみたいなんだけどさ。ちょうど位置的にキッチンに父が居て、リビングに私が居て、その直線で結んだ中点の辺りに母が居たのね。説明が分かりづらくてごめんね。

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↑こういう事です


別にキッチンから私の位置まで全然遠くないのに、明らかに父は母に向かって「あれ、ゆみってケチャップ食えるっけ?」と尋ねたんですよ。
まぁ朧げながらも彼が私の生のトマト嫌いを覚えていた事は置いといて。その日の朝、父の目の前で私はアメリカンドッグにケチャップをかけたものを朝食として食べていたし、記憶が曖昧でもさ、別に私に直接訊けばよくない?キッチンからその質問ちゃんと私の耳にも届いたのに、何故、母を経由した?
やっぱりこの人は私の事を意識的に"観て"いる訳ではなく、ただ網膜に映し出されている物体としてしか認識していないのだなと思ったし、嫌いな食べ物の確認すら母を介さないと訊けないような、そんなに私とコミュニケーションを取りたくないならいっそのこと完全に放っておいてくれよ、気まぐれで下手な「娘好き」アピールをしてくれるなよ、と思ってしまったな。
全然、そんなエピソードはまだあるんですよ。実家にいる時に私が体調を崩して寝込んだ日があって、翌日の朝には両親に「ほぼ治った、もう元気」と伝えていたのに、その夜父はプリンやらアイスやら栄養ドリンクやらをドカドカ買い込んで帰宅し、「飲め!食え!」と強要してきたり。これはもう善意と見せかけた悪意なのよ。

どうして急にこんな事を書き出したのかと言うと、近日中に私のエッセイがまた「かがみよかがみ」さんに掲載される予定だからです。投稿のテーマは「父に実は伝えたい事」。私と父の確執は浅くて深い。まぁ「ちりつも」ってやつなんですよ。そのエッセイでは私が決定的に父に不信感を抱いた時の事を書いております。掲載されたらまたお知らせさせてくださいね。

【追記】
掲載されました!エッセイはこちらからどうぞ→10歳の誕生日に家族で出掛ける約束していたのに、パチンコを優先した父

今まで私は、「父は私に無関心なのだから、だったら私もそんな父に関心を抱いて無駄なエネルギーを消費するのはよそう、私も無関心になれば良いんだ」と決め込む事で、心の凪を保っていたんですよ。でも違った、本当は父が私に無関心なのが堪らなく不愉快で、ちゃんと"観て"欲しくて、父から愛されたかったのだなぁと自覚したんですよね。自分勝手で、ちゃんと私を"観て"くれない父が嫌いで、本当は全然私の心は凪いでいなかった、常に荒れていた。

虐待って、なにも暴力を振るうとかの積極的なものに限られないじゃないですか。ネグレクトとか、空気みたいに扱われるとか、そういう消極的な虐待もあるでしょう。私の父の無関心さがそういう消極的虐待かと言われると、確かに怪しい。別に無視されてた訳でもないし、表面的には一緒にゲームをしたり、じゃれ合ってたし。でも彼の心の中に私は居なかった。私とちゃんと向き合おうとはしなかった。少なくとも私にはそう感じられた。その現象に、感情に、名前を付けるなら。"軽虐待"や、"半虐待"ってところでしょうか。
こんな事書くと「女ってすぐに悲劇のヒロインぶりたがるよな」と思われても仕方ないなと思うのですが、だって私が傷付いたのは事実だから。
でもそれを直接父に進言することなんて出来ない。だって、男性で、父親で、圧倒的に向こうが強者なんですもの。どう頑張ったって私の意見は捻り潰されるでしょう、だったら反発なんてせずに最初から嬲られる方が楽だ。

てかこれ、後日掲載される予定のエッセイを読まないと分からなくなってきたね?そんな事はない?大丈夫そ??じゃあ続けますね。

父の事を書き出したのは、私が島本理生さんの「ファーストラヴ」という小説を読み終えたから、という理由もあったりします。むしろこっちがメインかも。エッセイの告知がしたくて先にそちらの理由を挙げたけど。笑

友人からお薦めしてもらった本なんですけどね。
一般的とは言えない家庭環境で、幼少期から性的虐待と言えるような事をされて、それでも"男性"に愛を求めてしまう被告人の環菜ちゃんに、自分と近しいものを感じてしまったの。そして主人公で臨床心理士の由紀さんにも。勿論その2人は架空の人物だけど、その2人を通して島本理生さんが伝えたかった事がめちゃくちゃに理解できてしまって、つらくて、途中からボロボロ泣いてしまったんですよね。
由紀さんはまだ幸せになれたのよ、素敵な相手と結婚してさ、後ろ暗い過去はあれど、迦葉とも和解出来て、それによって本当の意味で旦那とも通じ合えて。環菜ちゃんとそのお母さんもこれから幸せになれる、はず、そんな終わり方だったもの。

はい、本の内容を知らないと何がなんだかさっぱり、という感じですよね。未読の方を置いていくのはここまでにします。

どっかで迦葉もポロッと言ってたと思うのだけど、日本って血縁関係をめちゃくちゃ重視しますよね。親と子、愛し愛されているのが当たり前、みたいな思想が蔓延しているなって。特に昔の人間と地方の人間は、"家族"というものが絶対的に幸せだと信じて疑わない。まあこれは私の体感ですけど。
気持ち悪くて、生きづらいなぁ、と感じるのです。じゃあ具体例を挙げろと言われても、難しいのだけど。血が繋がっているから、相手を100理解できるなんてあり得ない、本当に仲良し親子なら97くらいは理解できるかもだけどさ。むしろ血が繋がっているからこそ面倒でややこしい事の方が多い気がして。ま、全部私の体感ですけどね。

話が変わるのですが、私は、顔だけはそれなりに可愛かったので、男女交際も人並みにはしてきたけど、ほとんどの男は私の"見て呉れ"が好きなだけだったんですよね。彼らの本心は知らないけどさ、少なくとも私はそう受け取った。
だからちゃんと私の心に寄り添おうとしてくれる男性と接すると、急に私は処女のような、うぶな乙女になって、戸惑ってしまう。26年間、一応女として生きてきましたが、異性からのちゃんとした愛情の対処方法を未だに存じ上げません、とりあえず御礼の粗品でも贈っておきましょうか?わぁ!私のプログラムにも経験則にもどこにも載っていない、オーバーヒートします。プシュー。
今の恋人と出会えて本当に良かったな、と思ったのです。私は父の事もあって男性に懐疑的だけど、この人なら信頼出来るかも。抱きしめられると、温かくて、これが愛されるという事か、これが幸せという感情なのか、と思ったりなんかしちゃってね。恋人に想いを馳せてまたボロボロ泣いちゃってさ。惚気話なんて柄じゃないから、この話もここまでにしておきますね。

P.S.
記事を書く時、基本的に私はまず書きたい事をバーっと本文に書いて、最後にタイトルを付けるんですけど。これも本を薦めてくれた友人とはまた別の友人から教わった、というか友人がカラオケで歌ってて「めっちゃ良いな!?この曲!!」となった、宇多田ヒカルの「Play A Love Song」という歌詞から拝借しています。「ファーストラヴ」の内容と歌詞がめちゃくちゃ合っているんです。君達、口裏合わせた?

ニートなのでサポートして頂けたらご飯を買ったり家賃を払いたいと思います。