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親の老いを赦す時

両親は今年84になります。長崎に2人仲良く暮らし、父は要介護1、母は要支援1の認定を受けながら老々介護で頑張ってくれています。

私は関西に住まいがあり、今年の4月から完全にフリーの仕事だけを残して介護見習いとなりました。

とはいえ、関西の仕事もまだまだあり、コロナのこともあって殆ど介護というような具体的な支援は出来ていません。ただ認定を受けていることで、信頼できるケアマネージャー、そして訪問診療などを受けることができ、日々の父の介護は母が頑張ってくれています。

母は、私と違って好奇心旺盛で趣味も多く、60過ぎて始めたパソコンもその教室で教えるくらいまでなりました。HPも自分で作るし私にFBなどのSNSを勧めたのも母でした。なのでこの10年、SNSを通じて全国、いえ海外までも共通のお友だちができ、母は「私は70過ぎて日本一の子だくさんになった」と喜んでみんなとの交流を楽しんでいました。

そんなSNSの仲間からここ数日、メッセンジャーで問い合わせが続いているのです。「私の母の名前でリクエストが別に届いているのだけどこれは成りすましではないですか?」とみなさん心配して私に連絡をくださっています。

すみません。こちらは母が間違って他のタブレットを使いたいために別を作っているようなのです。そこで母がたくさんの方にリクエストを送っているのですが、私ではそれがどこまで送っているのか把握できず、こうしてまずはみなさんにお伝えしています。

日常生活は、問題ないのですがこうして時々、今までできていたことか出来なくなることが増えてきました。みなさんにコメントを書くことも少し億劫になり、「いいね」でお返事するのが精一杯。

時には頭がスッキリしてサクサク出来たかと思えば、モヤがかかって途端に面倒になったり、放り出したくなることもあるようです。

それでもこうして今でもSNSで繋がって、毎日の電話で、今日は○○さんの本を読んだ。とか自分も○○ちゃんの応援したいのよ、と話題に事欠くことなく話せる幸せをみに沁みています。

このような兆候が出てきた5年ほど前から、娘として決めたことがひとつあります。子どもとしてこれまで出来たことが出来なくなる親を目の当たりにするのが自分としてもショックでつい「しっかりしてよ!」とか「何やってるの!」と言いたくなるようなことが起こっても、決してそこを責めない。それでいい、と受け入れていこうと…

すると母に変化が見えてきました。本来負けず嫌いなところから気性の激しかった母が年齢を重ねることに柔らかくそして私に甘えてくれるようになりました。

実はこれまで出来たはずなのに!と一番悔しくてショックを受けているのは母なのだと、気づくことができました。
今は、2人で笑って「可愛くボケよう運動」を絶賛実践中です。そう言ってると本当に我が母ながら可愛いのです\(//∇//)\
次のステージは、「大往生作戦」
これは、みんなとニコニコ過ごしている人は、死際も眠るようにすっと神様がお迎えに来てくれるという説に基づいてます。せっせとその徳を2人で一緒に積んでいるところです。

不思議なもので、私もこの年になったからか母と自然にお迎えの話を笑ってできるようになりました。両親ともに胃ろうはしたくないと、出来るだけ今の終のすみかで最期を迎えたいと話しているのでどこまで期待に添えるのか分かりませんが、2人の笑顔が続く生き方を支援していきたいと思ってます。

私自身、介護は一応ヘルパー1級の資格まで取らせていただき、様々なカウンセリングで相談を受けてきました。そこから感じるたことは、まず子どもが親の老いをありのままで受け入れる大事さと、ひとりで抱え込まない大切さでした。

ケアマネジャーさん、お医者さん、叔父叔母、たくさんの方の力を借りながら、両親を見守っていければと思ってます。そして今度は、私ができることをその方々にできればと。

そして、いつもそんな母と仲良く付き合ってくださっている全国のお友だち、時にトンチンカンな荷物やメッセージが届くかもしれませんが、一緒に見守ってくだされば幸いです。
何か心配な時はいつでも私に連絡してください。いつもこうしてお願いごとばかりの私ですが、そう私も甘えることが出来る仲間がいること、本当に幸せ者と思っています。

これからも母と私の「介護珍道中」続けていきますのでよろしくお願いします。

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