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誰もが叩きやすい時、決めたこと
今日は、私がこの数年思っていることをつらつらと書いています。
今、どこでも簡単に発言できる時だからこそ
まあ、自分が意見を述べて相手を非難するのはやめようかなと。
それこそ、非難するネタは
これでもかって言うくらい転がっています
政治家の失言、差別的発言、芸能人の不倫
けしからん、酷いなぁって思うこともしばしば
ちゃんと意見を述べることも大切でしょう
私も勿論いつも何にもだんまりを決めているわけではありません
もし、その人に直接意見を言えることが出来るか
あるいは直接被害を被る可能性があるか、その時には堂々とその意見を述べようとも思います
何故なら、私の何処かに
それを言うことで自分の全く別のことで感じてる不満の解消に溜飲を下げている自分がいるだろうと気づいてしまったから
この人のことなら、声をあげても許されるかなって思う自分がいたから
これはあくまでも、私の個人的な思いです
それでも、あかんなぁと思ったら
政治でしたら、選挙に行きます。集会にもいって、その政策人となりを知ろうとします。
お付き合いで投票はしません。
芸能人ならその人の番組を見ません。
(元々TVがないので、見れないし情報もすっかりうといのですが…)
どんなに尊敬している西野亮廣さんでも、それはアカンと思ったら、オンラインサロンで直接コメントします。(彼は、全てのコメントを必ず見るとの話なので)
まあ、私の小さな声で出来ることは、たかがしれていると思うのですが、私自身たいした人間じゃないこと自分で半世紀生きていて知ってますし、不完全さや不条理さの中でどう生き抜いていくかを考えてきたので、あまり人のことを言えないなぁというのが本音です。
ある程度のルールやマナーは、必要でしょう。
自分の持つ影響力を鑑みて襟を正すことも大切でしょう。
それでも日常の至る所でマウンティングの争いは起こり、イジメに似た集団心理は無意識であつても働きます。油断すると私もすぐそこに加担してしまいそうになります。
なので、まず手始めとして
報道の炎上案件には、手を出さないことにしてみました。これはTVもないので簡単に出来ました。(何せ知った頃には既に遅い⁉︎)
すると、良いこともあるのです。
日常が穏やかに過ごせます。
誰かに吹っかけられたとしても
その時は反論したくなりますが
「まぁ、いいか」と3回くらい唱えると
それでやり過ごせます。
そして大概の案件は、TVも新聞も辞めてみても何も困らないことに気づくことができました。その時間、良書を読むこと好きな音楽に浸ることで豊かに過ごせるのです。
きっと、これは私がもう50代後半になったからそれも受け入けられるのかもしれませんね。
人生100年時代、自分のポジションも激しい感情も手放すことを粛々と進めていきたいなぁと改めて思う今日この頃なのです。
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