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人は憎しみ続けるほど強くなく 哀しみ続けるほど弱くない

 娘が高校生の頃のお話しです。
 基本楽天的であまり悩みなど抱えないタイプだと思うのですが、珍しく愚痴をこぼしてきました。
 どうやら、先日から始めたアルバイトの人間関係で悩んでいるようでした。自分が担当する厨房のお局さま的フリーターの彼女がとにかくキツく、それは娘にだけでなくて入った新人が次々と辞めていくそう。
 娘の気持ちを汲みつつも、そこは娘にとって初めての社会経験、勿論いたらないところも多々あるのだろうなぁと、心の中で思いながらまずは娘の話を黙って聴いていました。
 全て話すと、少し冷静になってきたのか自分の振り返りをする余裕も出てきたようです。
 辛いといいながらも、まだ辞めるという選択肢を出していないこと、頼もしいねと話すと、少し誇らしげな表情でどれだけその仕事が大変か声のトーンも上げて話出しました。
 そして最後に私の経験を交えてこう伝えたのです。
「あのね、人ってずっと憎しみ続けるのもしんどいからきっとその人も変わると思うよ」娘はそうかなぁという顔をしています。
 これまで何度そんなことがあったでしょう。新しい職場、ママ友との軋轢、地域の活動での話し合い。無意識のマウントの争いは繰り返され、理不尽な思いも沢山してきました。
 それでも「人の噂も七十五日」と言われるように、基本人間は、自分のことに一生懸命で、他人のことなどどうだっていいのです。
 最近よく叩かれていた芸能人だって、しばらくしたらもう気にもならなくなってます。嫌うという感情は、特にエネルギーを使うし、よっぽどの恨みを買わない限り、相手も疲れてきます。そをな根性の座った人はそうそういません。
 そして私、人はどんなに不幸と嘆いたって、お腹が空けば食べたくなるし、眠くなれば寝てしまうから、おちおち哀しみ続けることも難しい。
 そんな風に考えると、今の辛い状況も嵐が過ぎれば何だった?となる場合が大概です。その時に自分で心がけるのは、身を低くして余計な暴風雨に自分をさらさないこと。
 だから、一番辛いなあと感じた時は、冒頭の
「人は憎しみ続けるほど強くなく
     哀しみ続けるほど弱くない」
この言葉をおまじないのように唱えてました。
 おかげ様でその当時、あれだけギクシャクしていた人とも、時が経てば女同士の勢力図も塗り替えられ、何処かで共同戦線を張り、もう10年来の友として付き合ってる人もたくさんいます。
 そんな例えを交えて話してから、ひと月ほど経った頃でしょうか
娘から、少し嬉しそうな報告がありました。
 娘も仕事に慣れミスで怒られることも少なくなってきたのか、そのお局さまの態度が少し変わってきました。そして相変わらず直ぐに辞める新人を前に
「そういえばなーちゃん(娘のことです)は、どんなにいじめてもやめんかったもんなぁ」と呟いたそうなのです。
 娘は(あ、この人自覚あったんや!)と思ってから、少し気が楽になって、何故かそこから気持ちが打ち解け、今では一緒に遊びにいく程仲良くなったのだそうです。
 きっと、この体験は社会人になってからも役にたってくれることでしょう。良い経験をさせてくれたと彼女にも感謝です。
 といいつつ、一方でやっぱり我が子、何処かで躓いてしまわないかと、ドキドキし続けていた私も、ほっと胸を撫で下ろしたのでした。

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