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人は人の哀しみに寄り添いきることは出来ない

18の春、哀しくても忘れまいと思ったことがある。
「人は人の哀しみに寄り添いきることは出来ない」のだと、

彼女は高校3年の初夏、最愛の父を亡くした。
家族3人、傍からみても羨ましくなるほど仲のいい親子、お父さんを中心に母、娘全幅の信頼で父に頼り寄り添っていた。
そんな家族に起こった突然の訃報。残された母、娘はその現実を受け止めることも出来ず立つこともままならず、私達もかける言葉も見つからず、ただ呆然と立ち尽くすことしか出来なかった。
その時彼女は、私を焼き場まで付き添って欲しいと願い、私は生まれてはじめての光景を体験することとなる。それくらい彼女とは仲がよかった。

はかなげで、スイートピーの花を連想させる彼女。
女同士の熱き戦いが繰り広げられる女子校のなかで私は、彼女の騎士(ないと)気分で常に側に居ていた。
あの日以来彼女は学校に来れなくなった。何度自宅に通っても逢ってももらえない。このままでは、卒業が出来なくなる。私は、何とか彼女を引っ張り出そうとやっきになった。

程なく彼女は休みがちになりながらも学校に来るようになる。
私は、本当に嬉しくて、すぐさま彼女の側に駆け寄ろうとする。ところが、そのときの彼女の顔が忘れられない。
とても、冷たく全てを拒絶するような目、私は、何故そう感じるのか、私が何かしたのか全く分からず、近寄りかけた足をすくませたままそこから先、進めなくなってしまった。

他の友だちとは話しかければ笑顔で答える彼女、でも、私には一切の妥協を許さない。
声をかけても一言も話さない。私も人の子、それなりに傷ついた。
いわれのない反応に、怒りともいえる釈然としない感情がうずまく。傷つき続けるくらいならそして、彼女にそんな表情をさせるくらいなら私が離れればいい。

それでも、気にはなっていた。
私がクラスの離れたところで友だちと笑いふざけあっていると彼女がなんともいえない悲しい目をして、こっちを見つめている。その視線を感じながらも振り向くことも出来ず
解決できない重い石のように彼女のその表情だけが心に折り重なっていく。

卒業を控えた冬休み、彼女はあと少し単位が足りないということが分かり、冬休みも補習という形で学校に通うことになった。これが出来ないと卒業出来ない。
相変わらず、一言も話さない日々が続くそれでも、やっぱり心配でたまらない。
私自身、内部進学を蹴り、一般受験を目指していたので勉強も追い込みがかかっていた。
「嫌われてもいい」私もその冬教室に通うことにした。
教室の対角線の端と端、言葉を交わすこともなくただ鉛筆の走る音だけが響く。
でも、その時の彼女は勝手に来る私を拒絶するでもなく、何もいわず、その場に居ることを受け入れてくれていた。
そう感じることが出来た。
そうして過ぎていった補修最終日。
彼女は休むことなく補修を受けることが出来た、これで一緒に卒業できる。
なんだか、もうそれだけで良かった。
結局一言も言葉は交わせなかったが、その間彼女の眼差しから冷たい視線を感じることはなかった。

その日の夕方、一本の電話がかかってきた。
私はどうやらうたた寝をしていたらしく、うす暗がりの中受話器をとった。
彼女だった
受話器の向こうで既に泣いていた
「弓はなんてバカとね・・・」
そんな言葉を何度も繰り返し泣きじゃくっていた。
そんな彼女を落ち着かせ、ゆっくり話を聞いた

「私が悲しみのドンゾコに落ちたとき貴女は私の側にいてくれた。父のお骨を震えて拾えない私に手を添えて一緒に拾ってくれた。それがどれだけ嬉しかったか。
でも、あなたは私じゃなかった。私はあの日から笑えなくなった、この世が無くなればいいと思っていた。それくらい苦しく、哀しくどうしようもない気持ちでパンパンになっていた。
それでも学校にいかないといけないと言い聞かせ、自分に鞭打って登校したとき
貴女が他の友だちと笑っていた、それが、どうしても許せなかった。
私の我儘だと分かっている。
貴女に笑うななんて云えないと分かっている。
でも他の人とは事情を知らない友として話せても、どうしても弓とは笑って話すことが出来なかったのだと。
どんなにひどいことをしたのか分かっている。あなたが、とても哀しい顔をして私を見つめていたのも分かっている。どうすることも出来なかった。
貴女にはその我儘をおさえることが出来なかった。貴女に嫌われても当然のことをしていると思っていた。でも、貴女はいつも最後まで私を見捨てなかった。
私の気の済むようにと待っていてくれた、本当にバカで、どうしようもなくお人よしで・・・・」

私は、その話を聞きながら、彼女が遠く離れたところであんなにも哀しい眼差しを送っていた風景が蘇り、そうだったのか・・・と腑に落ちた

それと同時にどこか、驕った心が私にあったのではとも思った。
彼女の哀しみを本当に分かろうと思えば私も親を亡くすしかないのかもしれない
でもそんなことできるはずも無く、だから、人はその人にどこまでも寄り添えると思うこと自体が驕りであり幻想なのだと。

自分の至らなさ、限界を承知した上で、人を思いやるということの難しさを心から感じた瞬間だった。
いろんな、事故、天災が起こるたび私の心が本当にざわつく
何かしないと内側からの気持ちが叫ぶ、でもどんなにやっても、支援しても100%その人たちの心の安寧にはつながることは無い。
それを、あえて分かった上でやれることをやる。出来ることを粛々とやる 忘れないことが大切。
私がカウンセラーとして忘れてはいけないと思う原点がここにある。

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