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娘とピアス

20年以上も前の秋のこと

私は幼子の娘を抱いて

両の耳にピアスの穴を空けた


その頃はまだ

耳に穴を開けるなどと

自ら体を傷つけることはタブーとする空気が流れていて

「ピアスを開けると人生が変わる」

そんな言葉がまことしやかに囁かれていた


耳たぶが薄く小さいので

しょっちゅうイヤリングをなくしては

片耳ばかりストックされていく

そんな我が耳を恨みつつ

それでも、なんとなくピアスになるには

躊躇してなかなか行動には移せないでいた


そんな私が横浜の地で

何故空けようと決心できたか


それは娘の存在無しでは語れない

娘は私たち親の不手際で

生後2ヶ月の頃

大きな大きな怪我を負った

あまりにもまだ小さかったので

これから発達する段階において

どこで障害が残り

どこに後遺症が出てくるのかわからないと

病院の先生に告げられた


それから私は

毎月毎月

定期検診と称して脳神経外科に通いつめた

目は見えているようです

耳も聞こえてるみたい

一つ一つ

発達に合わせて

普段なら成長を単純に喜べばいいようなことを

大きなハードルを目の前に置かれ

娘と2人飛び越えていった

そんな1年だった


そして秋のある日のことだった

先生がいつものように丸いイスに娘と2人座る私に向かって

「お母さん、もう大丈夫でしょう。

娘さんは、どこにも後遺症の所見が見られませんでした」

そう言いながら、私の手を両手で包み

この1年間を労ってくれた。

その時私は、初めて

事故が起こってからずっと張り詰めていた何かが切れたのか

膝がガクガク震えその場に立てなくなり

3日間熱にうなされぶっ倒れてしまった。


そんなことがあってほどなく

ふと「ピアスを空けよう」

そんな、考えがよぎったのだ

もう、ここからどんなに人生が変わったところで

二人の子供が授かり

娘をあの困難から救ってもらえたのだ

私の人生で何が起ころうと

もう何でもないこと


あの事故が起きたとき

治療室のベッドに寝かされている娘の姿を見ながら、

もし最悪の状況が起きたとしても

すべてを受け入れ

この娘と一生を共に生きていく

そう覚悟したのだから


それから私の人生は

既におまけの人生

そんな風にどこかで感じている

おまけなのだから

気負わず、

何が起きてもそれを受け入れおもしろがる

できるだけ自分に正直に

嘘なく生きていきたい


あの時私の耳に収まった

18Kのファーストピアス

もう使うこともないけれど

何故か捨てられず

一番いいところに収まっている


そう考えると

確かに私の人生

このピアスが変えてくれたのかもしれない

感謝だね

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