見出し画像

仕事で大切なことは全て母から学んだ

私の商売の基礎は全て母から学んだ
いや、商売に限らず人生のイロハもとことん教え込まれた。

母は、とにかくお金に厳しかった
物心ついた時からその姿勢は一貫していた
何しろ私は制服というものを
「サラ」であてがわれた覚えがない
どこかかしら上手いこと
近所のおねえちゃんのお下がりをいただいて
「服のサイズに体を合わせるのよ」と
そう言われて育った

古い記憶では小学校の家庭科の時
みんながお揃いのケマリ模様の裁縫道具箱を
揃えて授業に参加する中
私一人 家にあったおかきの空き缶だった

授業に使う体操服ももちろん
「ジャージであればなんでも同じ」と一人だけ違うモノ
1年の入学式からいたはずなのに
あの子は転校生?と思われてもいた

我が家にはついこの前まで
南国長崎でありながら
過去の一度もクーラーがついたことがない
節電を意識するまでもなく
電気を使うところがないようにしているのだからあっぱれだ

そんな母の口癖が
「活き金を使いなさい」という言葉だった
母は私に始末の始末を強いながら
30年以上も前、まだ1ドルが220円だった頃
高1の私にアメリカに1ヶ月ホームステイに行っておいでと肩を押してくれた


そして、自分は相手の顔が見えなくなるまで
夕方居間の電気をつけない生活をしながら
誰か人が長崎に訪ねて来たと聞けば
心ゆくまで楽しんでいただかなくちゃと
思いつく限りのおもてなしをさせてもらう
そのギャップときっぷの良さに驚きながらも
「長崎女の心意気はこうでなきゃ」、と
その生き様をとおして
一番大切なことを教えてくれた

6人兄弟の長姉で、両親が亡くなった時は1番したの弟はまだ中学生だった。
体が弱く、私が小学校の頃までは常にベッドに横たわりヒューヒューと乾いた息を繰り返す母だったが、結婚したばかりの父と妹弟たちの親代わりとなって、姉妹お店を切り盛りしながら家族を支えた。

どんな時も夢だけは失わず
人との出会いを楽しめるようにと喫茶店を開き
人生相談を繰り広げていた

人様に尽くすお布施が積み重なったのか
いつしか神様が病魔をどこかに追いやってくれたようだ

私は母の背中を見て、商売というものの大切なことを学ばせてもらったと思う、
人生はとことん平等に出来ていて、
苦労した分、人様に尽くさせてもらった分
どこかでちゃんとお返ししてもらっている

おかげさまで、今共に仕事をさせてもらっている仲間も、みんな同じマインドを持った人ばかりだから、心が疲弊することなく仕事をさせてもらえる。

どんなにハードな案件でも、やりがいに変えて
その山を助け合いながら乗り越えていける
それこそお金に変えられない
一生ものの宝を授けてもらった

明日は母の84歳の誕生日
長生きしてね
まだまだ教えてもらいたいことたくさんありますから

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?