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きっと何とかなる

昨日久しぶりに子どもと3人で半日過ごしました

子どもたちはそれぞれ社会人になって
新しく家族が出来たりなど
3人でというのが、思い出せないくらい久しぶりのことでした。

今日は兄の再就職のお祝いでした。
兄の転職は、今のコロナ禍そうそう上手く運ぶわけもなく、専門学校に働きながら通い、頑張っていたそうです。

どんどん私の知らないところの子どもの奮闘ぶりを知って誇らしく思うと同時に、親というものは勝手で一抹の寂しさも同居します。

何社も面接を受けていることは知っていました。一番辛いだろうなと感じた時も、かける言葉が見つかりません。
親の私が出来ることは何もないと言い聞かせ
この前電話をかけたのはいつ頃だったかとカレンダーをめくり、変にプレッシャーをかけてはないかと連絡を取るのもためらいます。

ただ神社にお参りすることしかできない。

きっと、何とかなる。
そう出来る息子であることを信じること
それが唯一今の私が出来ること

自分が試されるのはこんな時
子どもがどんな状況であっても動じず信じる力があるのか。
つい手を差し伸べたくなる衝動に負けそうになっては、その手を何度も引っ込め戒めていました。

そんな数ヶ月が経ち、やっと届いた吉報
すっかり安堵して飲んだくれた今日
家に帰ってもその喜びはおさまらず
感謝のメッセージを送ります

しばらくして、いつもなら反応もろくになく
ツンデレの放置プレイに晒される流れのはずなのに、子どもからの優しい言葉の返信

哀しい思いや苦労をしてきた分
それらは子どもたちの糧となって
大人の思いやりを示してくれるようになりました

一人暮らしを始めて、家族を持って
改めて気づいたり感じることがあるのですね
私も振り返れば散々親を悲しませ辿った道でもあります

親は遠慮もない分どうしてもすぐに答えを求めたくなるけれど、そこはグッと堪えて我が子を信じる信用貯蓄を積み立てていけば、子どもたちからこのような複利となって幸せをもたらしてくれるのだと

久しぶりにぐっすり眠れた夜でした


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