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忘れるという才能

最近、年追うごとに身近な人とのお別れに遭遇することが多くなりました
私自身平均余命が短くなっているのですからそれは当たり前のことかもしれません

母はすっかり「お別れ慣れしたわ」と
言葉数少なにつぶやいています

親しかったその人とこれまでのように
顔を合わせ、話すことも出来なくなり
虚無感が一気に押し寄せてしまいます
そしてその哀しみもいつしか日々の雑事に追われ
遠い在りし日の彼方へと流れて行ってしまうのですね
いずれ私もここにいる痕跡すら誰の記憶にも残らない存在になるのでしょう

ただ、忘れるという事は哀しい事ばかりでもないようです

以前、同級生でこれまでの生きてきた記憶を物心ついた時から鮮明に覚えている人がいました
彼は子どもの頃からいじめを受けていて、二十歳の頃、その頃からの出来事と感じた思いを全て遡り、何十頁に渡る詳細をレポートに書き記したとのこと
そして数少ないひとりの友に手渡したそうです

「読み終わった時には夜が明けていたよ」と
その友は静かに話してくれました

だからと言って彼の気が納まる事はありませんでした
彼の忘れられないという才能は、一流大学に進学することを支えてくれた一方、精神を正気に保たせることですら困難にさせてしまったのです

数年後その話を友だちから聞いた時、全てを覚えているという事は、一見、人もうらやむような才能のように思えていたけれど、反対にどれだけ辛いことだったのだろうと、やるせなくなりました

今の私が身近で最も怖れているのは
親の記憶が薄れ、老いを感じてしまうこと
つい、「覚えていない」と聞くとその動揺から
「しっかりしてよ」と悪態をついてしまいそうになります
いつまでも甘えられる存在でいて欲しいと、そこにわがまま放題の私の姿が顔をのぞかせます

ただ、親の記憶の衰えを怖がる一方で
あの時の友と話した情景が甦り
幸せに人生の下り坂を進む為に神様は「忘れる」という才能もつけてくださったのだと思える様にもなりました

MRIで見る父の脳ははっきりと縮小が見て取れます
いつも気難しく母と諍いの絶えなかった厳しい父でしたが
今では、とても穏やかな表情を浮かべ
母の後ろをついて買い物に出かけます
1人で出かけることが難しくなった分
振り返っても、今が一番夫婦仲良しなのではないかと思う程です

いつおこるか、どうなるのか分からない事にあれこれ悩んでいても仕方がありません

「人生良くも悪くもプラマイゼロ」、
これは私が好きな言葉で、ことあるごとに呟いている私がいます
出来る事も 出来なくなって来た事も全てを受け止め、失くすこと手放すことに執着しなければ、また何かをギフトを得ることもある

ろうそくの芯が燃える程短くなっていくように、誰もが平等に与えられた運命ですもの

だから「今日も無事に過ごすことができた」と、夕焼け空を感謝して眺めることができるよう、この一日を過ごそうと誓いました

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