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かすみ草

父が嫌いだった。理由はいくつもあげられた。
伝書鳩のように誰よりも早く会社に行き決まった時間に必ず帰ってくる父、気のきいたジョークひとつもいわず、一人娘を猫可愛がりする術も知らない四角四面のマジメを絵に描いた様な父。ただただ煙たくて仕方なかった。

決定打は高校2年の時だった。整理整頓を人生の信条にしていた父は、私の部屋にズカズカと入り、こともあろうか1カ月以上かかって大事につくりあげたかすみ草のドライフラワーを「枯れているから」と捨ててしまったのだ。父の前で泣くのも悔しくそれから顔を合わすことも嫌がった。

ほどなく私は3年になり自分の進路というものを考える時期に来ていた。
母には言えなかった。私がこころに決めた決断を口に出すことがどうしてもできなかった。母が私をどんなに必要としているか、家から離れるなんて思ってもいないだろう。そのために高校も大学のある付属に進んだのだ。

悩んだ挙句私はめったに会話を交わすこともなくなった父のもとにいった。父は私の思いを何も言わず黙って耳を傾けた。そして私の顔を真っ直ぐ見て「おかあさんは大丈夫だから」そう、一言つぶやいた。
父は中学を卒業すると実家、島原をでて三菱技術学校へ進学すると同時に働き出した。一人で生活することの大変さと共にそれがどんなに自分を成長させたか話してくれた。初めて聞く父の生身の声だった。

それまで母が私にとって守りの砦だった。そこにいさえすればすべてが安心だった。ところが、いざその巣から飛び出そうとする時は母じゃない、父の力が必要だった。
父は私の未来への羅針盤だった。これから旅立つ大人への道標として外界の入口にすっくと立ち、私がそれを必要とする時まで何もいわず待っていてくれたのだ。

それから私は父とよく話をした。仕事のことで頭を打ち、組織の仕組みに矛盾を感じると父に相談した。父は冷静に的確に、そして誰に対しても平等に判断することを今までの父の生き方を懸けて教えてくれた。

二人とも私の成長の節目節目でちゃんと見ていてくれたのだ。母も父も変わらぬ愛情でこんなにも包んでいてくれたことを、一人暮らしをして初めて気付くことができた。ペットのように愛情を掛けたいから育てるのではない、子供が求めた時に答えるのが親の務めなのだと。
今日は父と二人の時間を過ごしている、すっかり言葉数も少なくなった父、老いは確実に父を取り込みその分穏やかになり、私にも少し甘えてくれるようになった。

今ならかすみ草を買ってきても一緒に眺めてはきれいだと喜んでくれるだろう。何も知らず父を傷つけたあの頃、こうして取り返す時間がまだ間に合ったこと
ただ、ただ ありがたいとまだ見ぬ神に感謝するばかりである。

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