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数独が好き

その昔は、クロスワードパズルに夢中になっていたから、こうやって頭をひねくり回すのが嫌いじゃないのだろう
数独を知ってから、これ一筋になった。
ときおり、スマホで他のゲームに浮気することもあるけど、結局ここに戻ってくる。

その明快さが気持ちいい。使う数字は1から9までの数字だけ。
数独に比べるとクロスワードパズルは無限大の言葉から探し当てないといけないのだから、ゴールドラッシュ、今風に言えば(マイニング)の金鉱掘りに近い気分になっていた

数独とはなんぞやという方のために簡単に説明をすると、一辺9つのマス目で区切られた計81個の正方形があり、そのタテヨコ1列毎に必ず1から9までの数字がひとつづつ入るという決まりになっている。
さらにその81マスを9つの小さな正方形のブロックに仕切り、そこも必ず1から9までの数字がひとつづつ入ってないといけない。

そのヒントとなる数字があらかじめいくつか書かれていて、それを推理しながら完成させていくというパズル。
当然、そのヒントとなる初めから記入されている数字が多ければ多いほど、直ぐに解けるし、難易度、そしてその組み合わせは幾万通りある。

雑誌の付録にも時々見かけることがあった方も多いのではないだろうか。海外でも「SUUDOKU」で紹介されているのでこれは日本発祥なのだろうと勝手に思って誇らしくすら感じてる。

数独が私をこれほどまでに夢中にさせる魅力を自分なりに考えてみた。
別にそんなこと考えなくても、人生に何の意味も持たないけれど、それが熟年力の第一歩かもしれないと、数独30年の歴史を振り返るべく思いに耽った。

冒頭にも書いたように、答えが実にシンプルで必ず正解がひとつというところが潔い
解くのに苦労している間は、嫌になって何でこんな時間の無駄なことをしているのだろうと思ったりもするのに、解けた次の瞬間には嬉しくなってまた次の問題にチャレンジしたくなる。
この脳内ホルモンはどうなってるのだ。
その内数独依存症と名付けられたらどうしようかと密かに恐れるレベルである。

そして解き方のコツというものが、熟練度を極める程に多種多様に発見できて、未だ開発途上というところがいい。

分からない時は一か八かという運に賭ける時もあったけど、必ずどこかにその根拠となる法則が眠っている(はずである。)それを30年経っても今も見つけられるのが楽しい

そして、その解いていくプロセスの中で、初めは取りつく島もない難解な問題も、ひとつひとつ攻め崩していくと、意外なところでひとつ答えが見つかったり、芋づる式のようにスルスルと解け出すこともあり、それが気持ちよくてたまらない。

どんなに考えても活路を見出せない時は、途中で投げ出したくなり、ギブアップも多々ある。それでも少し時間をおいて眺めると、あんなに見つからなかったひとつのキーワードが目に飛び込んだりするから面白い

そして解きやすい序盤を経て、最も苦労する中盤を抜ければ、後はゆりかごに乗せられたようにスルスルと回答が見えてくる流れは、まるで人生と重なっているようでなんとも味わい深く思うのである。

ということで今日も少しの時間を見つけては数独に取組む、ふと隣りを見ると齢い80をとうにすぎた母がベットの傍に数独の雑誌を数冊置いてある。

これは遺伝でもあったかと苦笑するばかりの今朝だった

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