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泣き虫

まだ10代の頃
悩み相談室に寄せようかと思い悩むほど
泣き虫だった

悔しくては泣き
嬉しくても泣き
驚いて泣き
情けなくて泣いた

自分の感情を持て余すだけでなく
隣の友の思いまで馳せて泣き
喧嘩した相手の彼の気持ちを考えて泣いた

しかも泣き出すと止まらない
予測不可能でいきなりじわっと涙が触れてくる
そのくせ 芝居で泣けと言われても
体が感情移入できていないと
涙のひとしずくもこぼすことは出来なかった

いつからだろう
そんな私が滅多に泣かなくなった
涙の壺を抑える術を身につけたからか
それと同時に心が大きく揺さぶられることもなくなった

哀しすぎると涙も出てこないことも知った
泣くことは体が解放されることと同じだった
気持ちが浄化され
すっきりして よく眠れることだと気づいた
今は長く眠ることが出来ない
声を荒げることも避けてしまう
起こりうる出来事は
全て必然だと受け入れてしまう自分がいた

なのに最近の私はちょっと違う
今まで静かに漂っていた感情が
何かのスイッチが入ったように
波立ち ざわめき
心穏やかに過ごせない
こころの奥底で残っていた未消化の自分がいて
戸惑いながらもそんな自分を受け入れている

今まで知らん顔してやり過ごせていたことが
ひとつひとつ引っかかり
気がつけば 頬に涙の跡が残っている
まるで10代の頃のように
小さな出来事で一喜一憂し
子供のように感情が溢れ出す

今宵も心の理由がないままに
持て余す涙に途方に暮れながら
まだこうして残っていたままならぬ自分と
向き合って喜んでいる

焚火の後の火種のように
奥深く潜む炎は情熱なのでしょうか
そんな自分が嫌いじゃないと
嘯いてみせるのです

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