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ペルソナ


人はいくつものペルソナ(仮面)を持っているという。
たくさんの仮面を並べてみると100%善人もいなければ、100%悪党もいないのでしょう。
私の中にも時に意地の悪い気持ちに駆られることもあれば、虫も殺さぬような母性溢れる心境になることだってあります。激しい感情を持て余す仮面も転がっているのでしょう。

「盗人にも五分の理」という言葉が好きでした。
どんなに悪人と称される人も、その人に残された10%優しさの部分で「この人だけは裏切ることが出来ない」という心根を素直に出せる相手がいるはずだから。

そのたくさんの仮面の中から、人はどう無意識に選んで身に着けているのでしょうか。

それぞれのペルソナは互いの心を映し出す反射鏡のようなものだと思います。
自分が相手を嫌と思えば、不思議と相手も同じことを考えていてマイナスの感情をむき出しにして接してくる。
その反対に無条件に相手の事を好きと感じれば、大概相手も好意を持ってくれる。

自分の素直に出したい仮面と相手が見せる仮面のフィーリングが合う人が自分の大切な人。その感覚に素直に従ってご縁を紡いでいきたいと思うようになったのです。

できればここからの人生は、ご機嫌な仮面を常に被って街を歩きたいと考えるようになりました。そうすればきっとご機嫌な仮面を被ってる人とたくさん出会うから。
お気楽な人生は、時に損したりすることもあるかもしれません。それでも仕方ないと笑っちゃえる日常。

「マウンティング」や「噂話」や「妬み」が幅を利かす世界は、実は自分が無意識に同じ仮面を被り引き寄せているのかもしれません。この人と付き合えば何かいいことあるかもなどという損得感情の仮面を表に出せば、たちまちくれくれ族の仲間が集まってしまうように。いくらそこで戦い勝ち取ったとしても、今の自分には喜びに思えないのです。

社会のしがらみでとりあえず繋がっておこうというのも辞めました。この人は実はいい人かもと、希望的観測でずるずる付き合いを続けるのも辞めました。残された人生にもうそんな時間に費やす余裕はないのです。

そこから本音で付き合える、安心できる、そんな直感にだけ従って、出会いを紡いでいったら年々心も身体も身軽になっていきました。

ここまで十分に社会に揉まれ、修行させてもらったもの。
あとは、私が納得できるような人生を自分で選び取っていきたい。

無理のない世界は、背中の肩甲骨も軽いのですね。
いろんなものをそぎ落とし、刺激も少なくなるかもしれないけれど、自分のお年頃に合っているのだと思います。
これまで見たことのない世界は、それはそれで楽しみなのです。

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