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海ホタル

したたりおちる汗をぬぐうヒマもない
 長崎の夏
 私たちの楽しみは、母が経営している
喫茶「マ・メゾン」が看板を下ろした真夜中
 常連のお客さんと近くの海岸までドライブに行くことだった

 長崎は3つの海の顔がある
 大村湾の穏やかな内海
 野母崎の南国を思わせる太平洋に向いた海
 そして西彼杵半島にそった東シナ海に面した海
 
私たちはいつも西彼杵半島のアウトラインにそった道を走らせた
 切り立った山の斜面の下はすぐ海だった
 ごつごつした崖でうねるように海岸線は形つくられ
 良質な海水浴場もなく
 はるか下の海に降りるには
 釣り人が付けたのだろう
 けもの道のようなところをつたって降りるしかない
 
暗闇の中ひとつひとつ 踏み降ろす指先で岩を確認しながら降りていく
 海べりには猫の額ほどの砂地があり
 私たちは、おもむろにそこで水着に着替え
 ほてった体を冷やすのだ
 
誰もいない月明かりだけの空間は
 隣の人も見えそうで見えない
 複雑な岩の形状が
 すぐ一人一人の空間を作り出し
 そこは月と大きな岩と海だけの世界が広がる
 
いつものように足先を波打ち際に降ろす
 ん?
 私の親指の先で何かが反応した
 一瞬エメラルドグリーンの光が海の底から現れ
 そして、瞬く間に消えていった
 
分からない恐怖感を抑え込むには十分なほど、その輝きは私のこころをとらえた
 もう少しふくらはぎのその先まで両足を降ろす
 そのとたん
 波の水面の広がりと合わせて
 一気にエメラルドグリーンの光が
 私を拠点に広がっていくのだ
 
「海ほたる」だった
 体を沈めゆっくりと手を掻く
 まるで、光が私の体にまとわりつくように
 きらめいては消え
 また押し寄せる波と私が起こす波紋の境目で
 光のグラデーションが起きていく
 
この世のものとは思えない
 その幻想的な空間で
 私は光のツブと遊び戯れた
 
それから、その体験が忘れられなくて
 何度となく足を運んだが
 そのあと、めぐりあった覚えがない
 何かの潮の加減で
 その時たまたまそうだったのか
 気まぐれな神様のプレゼントだったのか
 
暗闇の中でも好奇心とほんの少しの勇気があれば、進んだその先にまだ見たことのない世界が広がっている

 予測された明日より
 どうなるか分からない未来を渡り歩いてみたい
 指先から感じる五感をすべて使い自分の人生に賭けてみたい。
たどり着いた世界は少し官能的でエキセントリックだった

 視線の先の東シナ海は
 遠く上海に繋がり
 私の知らない世界が無限に広がっているはず
 
ずっとおぼろげに思っていたことだった
 あまりにも心地のいい空間が子どもでいることに甘え、私を意気地なしにさせていた

 この体験が私を一歩前に押し出した
 ー 外に出よう ー
 ここ長崎から離れて自分で歩いてみよう

そう決心させてくれた17歳の夏の夜の出来事

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