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「理解ある親」をもつ子はたまらない

1992年、もう20年も前に書かれた本
河合隼雄先生の「こころの処方箋」に記された一節である

一見「理解のある親」と聞くと
話がわかって、子どものこころに寄り添えて理想の父、母親像なのではと思いがちなのだが、ここではばっさりと断罪されている。

子供たちが自分を自分で持て余す思春期の時、本人でも説明のつかない衝動が沸き起こり、それを壁にぶつけることで、
自分の立ち位置を掴もうとしているのに
「子供たちが爆発するのもよくわかる」
と壁になるどころか、そうわけ知り顔で自分が子どもと衝突するのを避けようとしている親が多いのではないかと問いていた。

ドキッとした
思い当たることが今更ながらいくつも脳裏に蘇る
あの頃は、それとの毎日の戦いだったのかとも思う。

息子が中学3年のころ、家人が単身赴任だったため
家には私とと子どもだけだった。
フルタイムの仕事、町内会長の雑務に追われ、目の前に起きることをただただ処理するだけで必死だった。

毎晩11時近くの親の帰宅
兄として常に小学生の妹の夕食の世話も任され
受験生特有のイライラも相当あったのだろう
息子は常に不機嫌だった

私はあまりの忙しさに見て見ぬ振りをしながら、また兄に頼らないと家が回っていかないこともあって
今までなら見過ごすことの出来ない態度も
今、反抗期だから仕方がない
どこもおんなじようなもんだと聞いている
と心のどこかで自分に言い訳しながら聞き逃していた

そんなある朝、いつものように5時に起き、朝ごはんの支度をしながらお弁当を作り、夕御飯の下ごしらえまですませ、ふと時計に目をやるともうすぐに6時半、子供たちを慌てて起こした。

二人は眠い目をこすりながら2階から降りてくる
「おはよう」
「う~ん、ママおはよ~」
娘の半分寝ぼけた声
「おはよう」
「・・・・・・」
息子が無言で目の前を横切る

朝ごはんを食べだしても
耳にイヤホンをつけ
まるで俺に誰も話しかけるなと言わんばかりに
周囲を拒絶し
不機嫌そうにパンを口に運んでいる

その姿を見ているうちに
私の中で何かのスイッチが入り
抑えることのできない怒りの衝動が胸に沸き起こり、気がつくと自分でも意識なく机を両手で大きく叩いていた。

「ふざけるなー!!」
「反抗期か何か知らんけど、挨拶ひとつまともにできひんでいっちょ前に偉そうな顔して、ご飯なんか食べるなー!!」

娘の怯えた顔!
息子の反抗に満ち満ちた表情
そこからどれだけ息子と言葉の応酬があっただろう
が日々1分単位で動いている朝、こんなことをしているといつもの電車の時間に確実に乗り遅れる。

だから、いつもは先にそのことが頭によぎり面倒から逃げ、息子の日々の態度を見て見ぬふりをしていたのだ。
ところが今日はそれが我慢できなかった

頭の片隅で男親が側にいず、力で抗われたら太刀打ち出来ないという思いもあったのかもしれない。
でも、今ここで言わないと取り返しがつかないことになる。
そう、心の奥からの叫びが朝からのバトルの始まりとなったのだ。

当然の如く私は会社に行く電車に乗り損ない、化粧もそこそこで、心の中でざわめく波を感じながら
一日中会社で過ごすことになる。

家に帰る足も重い。
もしかすれば妹のご飯も放棄されているかもしれない。
おそるおそる家の玄関を明けた。
入口にたってまず気づいたのは、味噌汁の香りだった。
それは息子が一番得意なじゃがいものお味噌汁
朝の下ごしらえからちゃんと料理はできていて、妹は既にスヤスヤと眠りに落ちていた。

息子が部屋から降りてきた
「かあさん、おかえり味噌汁できてるで」
「あ、うん。ありがと・・・助かるわ」
まだ朝を引きずって、対応に戸惑っているのは私の方

「かあさん、今朝ごめんな、会社遅れたんやろ。
おれさ、友達が親にやってるって聞いて、
一回やってみようとおもったんや。
ほら、でもやっぱ我が家は通用せんかったな。
母さんの『ふざけるな!』あれ、マジびびった。
友だちに話したら『おばちゃんやからなあ』って言われてたよ
いや、もう返事せんとかしーひんし、朝悪かった」

思いもよらぬ展開にどうコメントしていいのか分からなかった。
ますます反抗されるのかと思っていたが、むしろ、息子は朝の事件を喜んでる節すら感じられた。

そうだったのだ
息子は反抗してしまう自分を持て余しながらも
それに無反応な親の態度が
ラッキーでもあると同時に寂しくもあったのか
俺を、どこかで止めてくれよ
そう訴える代りに限界まで反抗することで
親の反応を引き出そうといていたのだろう

これだったのだ
河合隼雄先生は見事にあの時の
息子の心の代弁を語ってくれていた

例えでこうも語っていた
相撲取りは「ぶつかり稽古」でつよくなるという
せっかくぶつかろうとしているのに
胸を貸す先輩が逃げ回っていては
成長の機会を奪ってしまうことになると

あれから10年以上経ち、2人は社会人となってそれぞれの道を歩んでいる。
ここまで来ると、もう壁になることも何も出来ない。
それぞれが成人した時、伊勢神宮の土の神様と風の神様にお預かりした大切な宝をお返しさせてもらった。
もう出来ることは、信じていつでも子どもたちの応援団長になるだけ。
戦うべき時期の何と短いことよ
そう思うとあの頃が懐かしい

息子の味噌汁が無性に食べたくなってきた

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