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ーギリシャ神話ー スフインクスの謎 

フェキオン山にいるスフインクスは通りかかる旅人に
「朝は4本足、昼は2本足、そして夜は3本足はな~んだ」
とひたすら声をかけては困らせていたらしい。
そんなある日旅人「オディプス」が見事答えた
「それは人間だ」と
つまり朝(赤ちゃんの頃)はハイハイするから4本足で
昼(大人)は2本足
夜(老人)になると杖をつくから3本足というわけ

私はその先にまた人は4本足に戻るのではないかと感じてる。
ハイハイするわけじゃないけれど
人は結局赤ちゃんに戻るから

最近母の口癖に
「昔はこんがんことなんでもなかったのに
めんどくさくなってきた」とか
「さっき、言ったことがもうわからん。ぼけとるっちゃなかとやろか」
そんなセリフが増えてきた

その度に私は
「いいやん、また子供に戻りよっとさ」と答える
「あれもできん、これもできんと思ったらはがいか~」
と電話の向こうで地団駄を踏む

私からすればあれだけPCを使いこなしているのだから十分じゃないかと思うのだが
母には母の行きたい到達点があるらしい

「よかと、子供は出来んかったからってなんも不安におもわんよ
 できることを出来るだけで楽しんでるやん」
そんな私の返答に
「そうやな、子供はなんにも不安に思わんよね」
と自分を納得させたいのかオウム返しのように言葉を繰り返した

別の見方をすれば、人はいつまでもクレバーなのも反対に不幸なのかもしれません、
そう老いていく親を見ながら思うようになりました
昔の栄光と今の自分を比較しすぎて
出来ないことばかりに目が行き、今の自分に不満ばかりが募るから

ところが程よく脳の退化が始まると
本人はそこに思い悩むことも忘れて、表情が穏やかになり子供のような無邪気さが増えるように感じます

父が最近穏やかになりました。
なんでも自分のことは自分でするタイプで
人に厳しくそれ以上に自分に厳しかった父、
母のできないことを努力が足りないとなじっていた
ところが病に倒れ、少しばかりの体の不自由さと脳の僅かな損傷が影響しているのか
昔に比べると人を寄せ付けないオーラが消えた
側に引っ越してきた義弟夫婦と夕食を食べに行く。それを楽しみだと私に報告してくれるようになりました。
母と毎日スーパーまで散歩に行き、荷物をもって黙々と歩く
そんな静かな日々が病と引き換えに与えられていたとしたら、むしろ今の二人で過ごす穏やかな日々は、病がもたらした神様からのプレゼントなのかもしれません。

ある人がこう言ったそうです
自分の最期を読めない事故死より
例え余命を宣告されたとしても
自分のエンディングを考えることができる
がんのほうがある意味理想だと
介護に至っては
残されたものが親を失う喪失感に耐えうるように憎くまれ、散々苦労をかけて消えていく、それが最後の愛情なのだと
そんな話を聞いで初めはびっくりしましたが、そんな考えもあるのねと受け入れる私がいます。
一言では語れない複雑な思いが交錯するほど
人は老いと向き合う時間が長くなりました。

老いをこうして少しずつ見方を変え受け入れていく

3本足から4本足へ
いつか自分も辿る道
老いることを味わう
スフインクスの謎掛けに
また、私の新しい学びが始まったのです

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