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攻めの目標と護りの目標

一昨日、こころの処方箋で「春夏秋冬理論」について書きましたが、今日はその同じテーマで少しビジネス思考寄りに思ったことを書いてみようと思います。

春夏秋冬理論は、人生を四季に例え、またそれぞれの季節を三分割にして12年の周期で考えるということ。日本の四季の始まりのイメージ春からではなく。その種を蒔く冬から始まり秋の収穫期で12年のひとサイクルになります。

西洋東洋のさまざまな考え方をバランスよく配置した統計学だなと感じました。自分の四季がどこから始まるかは生年月日で変わるのでそれぞれオリジナルの季節を過ごすことになります。

まずは、私はこれまでの棚卸しも兼ねて振り返りから記録していきました。年齢重ねると周期も何周にもなり(^◇^;)その四季の過ごし方の特徴が見えて来ました。

特に印象深かったのが来年私は冬、春、夏の9年間を経て秋の収穫期に入るのだそうです。この秋の収穫期は、良くも悪くもその前の季節、9年間の結果が出るのだとか…

それは私が過ごして来た滋賀マザーズジョブステーションの9年と重なり、そしてこの年末にそれによって書くことが出来た本の出版に繋がったのかと思うと、心が震えてしまいました。

それを元に今度は2021年の目標と目当てを書いていきます。こちらも小波ながら同じように12の月にこの春夏秋冬を当てはめていきます。私はたまたま年周りと同じ秋1から始まるとのことでした。(これも人によって違います)

何だか収穫のオンパレードで浮かれてラッパでも吹き鳴らしておけば良いような感じもしますが、こういう時いつも私の頭の片隅で囁く声が聞こえてくるのです。

それは、母の声です。いつも「調子の良さそうな時程気をつけなさい。」「一人でできることなど何もない、人さまへの感謝の気持ちを忘れてはならない」

母は、私にいつも言葉だけでなく誰よりも実践し、誰かのために行動を起こす人でした。
そして、何よりも商売において攻めより護りが大事と教えてくれました。

正直、来年の私がどうなっているのかいつも以上に想像が出来ないというのが、今の私の正直な気持ちです。昨日、日経新聞の一面に自分の本の広告が載った時、私のキャパを超えたところで何かが起こりかけてるのかもしれないと感じてしまいました。勿論、何も変わらないのかもしれません。

だから、来年の目当てを書きなさいと言われて途方に暮れてしまったのです。
結局、今の私が出来ること、これまでと同じように、淡々とこなすことしかないなと思いました。

FBも毎日書き続けて9年経ちました。(今はnoteとコラボしてます)コメントのお返事は、一人一人のお顔を浮かべながら書かせてもらってます。約束した本にスタンプを押し、ビニールに詰め、住所を3回チェックして送る作業。
これを繰り返していると、心が落ち着き、自分の足で立っていると思えるのです。

カフェ・咲論 弓ママの日は、変わらず月一度、色々工夫してお料理を提供し、毎日のあさんぽで神社にお参りする。
これを続けている限り、私の頭の上で風が吹こうと嵐になろうと大丈夫と思えるのです。

投資を長く続けていると、誰もがほっといても利益を出すタイミングが起こります。その時いくら儲かってもそれが実力とは思えず、反対に誰もが暴落で損を抱えそうな時に、如何に損を抑え、次のタイミングに備える余力を残しておける方が本物の投資家だということも教えてもらいました。

特に人生後半期に差し掛かり、起死回生のチャンスが何度も起こりにくい年齢になると、攻めより護りが大切だと身に染みてきました。

結局1月の目標は「浮足立つことなく、やるべきことをこなしていく」と記しました。
その年齢なりの戦い方でここからの秋の収穫期を迎えたいと思います。

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