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向田邦子の恋文

「向田邦子の恋文」 
   - 向田和子 -「新潮文庫」

出来れば人は傷つきたくないと本能で恐れ
時には自分の身を護るため
自分の心さえ封印してしまうものだけど
人としての内省的成長は
自分の心に傷をつけ
皺ひとつなかったつるっつるの細胞に陰を刻み
細かい感情のひだが出来ればこそ
世事の機微をかすめ取ることができる…

そういうことでしかなかなか深まらないのかと思うのです

「向田邦子の恋文」
彼女の死後20年以上たって公開されたこの手紙
私はこの本を読んで
単純に大好きな作家の秘められた恋という
美しく淡い追悼記とは思えませんでした

それよりも彼女が唯一愛した存在だったと思われる想い人に
彼女の生涯に渡る苦しみと切なさを味あわせた張本人として
女の立場からみて憎しみを感じずにはいられません
でも、その一方で
だからこそこれだけ尊敬する作家が生まれたのだと
歪んだ感謝の気持ちを抱いてしまうのです

若干30代の始め、いやきっとその彼女の器の大きさは
10代の頃からあったのでしょう
経済的にも精神的にも親からも頼られる存在として生き続けた向田邦子
また、それが自分の生きがいでもあると鼓舞し邁進した向田邦子

そんな彼女が心を解放できた人がその彼の存在でした
自分の弱さをさらけ出し
ダメな部分を受け止めてもらい
そして素直になれる相手

何はなくても自分がそう素直に思えた唯一の人だったから
あの当時、大スキャンダルのリスクも抱えながらでも
足しげく通い妻となって過ごした女盛り

その彼が自ら命を絶って彼女の元から姿を消した
もっとも女性として輝きたい30代半ば
普通に恋愛して結婚する道を捨ててでも
自分の人生をかけてこの恋に賭けていこうと思っていたかもしれません

だけど事実だけを見ると彼もまた、
彼女を護り安全地帯になることを決心してくれた存在でなく
自分に護られたいと思っていた人にすぎなかった
こうして又、私は誰からも甘えることを許されなくなった
その宣告を突き付けられたと思ったかもしれません

そしてその心の動揺をおくびにも出さず
普段どうりに日常をこなし、身内の世話を焼き
世間の期待に応え続ける強い私もまた事実

その苦しみ、そして憎しみから赦しまでに至る葛藤は
そこからの彼女の作家人生の中で
文章の機微に隅々まで行き渡り
これだけ没後四半世紀の時が経ても尚
人々の心を打ち 圧倒的な存在感を放つ
魅力ある女性として揺るぎない才能を花開かせたのではないでしょうか

「愛された」という勲章を持って生きる人生と
「愛した」という誇りを持って生きる人生
あなたはどちらを選びたいですか

彼女が生涯を閉じたのがあの台湾の飛行機事故でした
享年51歳9か月
ちょうどこの本を手に取ったのは同じ歳を迎えた時でした
そのタイミングでこの本を読んだ偶然は
私にとって彼女のその生き方がマイルストーンだと教えてくれたのかもしれません

私はどちらを選ぶかな
未熟者にはまだまだ時間がかかりそうです
51歳9か月を一つの区切りに
そのあとの人生でゆっくり真面目に考えようと思ったのです。

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