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結局依存してたのは自分

ほぼ一晩眠れずに朝を迎えた。
この感覚、何年ぶりだろう。

昨日母が入院。夜間、病院から電話が来るのではないかという心配で眠れず。

今回は気持ちの整理として書いた。


<母のこれまでの経過紹介>
2015年10月
おそらく先に脳梗塞発症。そのせいで踏み台から転倒し、左大腿頸部骨折。
左人工骨頭挿入、脳梗塞(ラクナ梗塞)治療。
リハビリ病院に転院。

2016年3月
シルバーカー歩行可能となり、退院を数日後に控えたころ大腸から出血。
診断名は大腸潰瘍。下血が止まらず、危険な状態に。
大量輸血で一命を取り止める。
脳梗塞の抗血小板剤(血液をサラサラにする薬)を中止せざるを得なく中止。
→脳梗塞再発。構音障害、嚥下障害、歩行困難、ADL全介助。
→食欲不振・下痢止まらず→CD腸炎→PEG(胃ろう)、CV(中心静脈栄養)しないと危ない、大腸はもう治らないといわれる。
→本人は望まなかったのでそのまま様子見る。
→食欲戻る。
再びリハビリ病院へ転院。

2016年8月退院。
末期腎不全状態ではあるが、介護サービスほぼフル使用で、大きな問題なく入院もせず過ごしていた。
在宅看取り方向。


という状態。

2週間前から食欲が著明に低下。食べないので出るものも出ない状況。
7月2日摘便してからほぼなし。週末のショートステイでも食欲なし。排便もなし。

帰宅後もほぼ飲食できず。夜間一晩腹部不快の訴えあり。
バイタルは大きく変わりないので、朝まで様子見る。
朝主治医に連絡、往診していただく。

入院するか、点滴して在宅で過ごすか・・・

相談できる人もいないので、自分で決めるしかない。
(私は一応次女。長女は市内におり、なおかつ同業者(看護)・・お金も手も出さない。まあ、あまりふれずに)

点滴管理程度であれば自宅でできるが、腹痛がなんなのか。
大腸憩室炎、大腸潰瘍の再燃なのかがわからないので、入院を選択。

病院の合併再編で、以前とは全く違う状況。
それでも病院時代の後輩がいてくれたので、ちょっと安心。
前回入院中も母の担当をしてくれた後輩。

そしてやはり予想どおり、面会制限が厳しくなっていた。
週1回30分の完全予約制とのこと。

リハビリ病院に入院していたときは、自分の所属したいた病棟というのもあり、勤務時は顔を見ることができたが、今回はできない。
(先生、看護部長、師長、病棟スタッフ、リハビリスタッフの皆さんには本当にお世話になりました)

痛みは落ち着いたのか、大丈夫なのだろうかなどいろいろ考えていたら、眠れず。

もう介護の限界、と思っていたが、結局自分が母に依存していたのだ。

前回と大きく違うのは、自分が外で働いていないこと。
職場で働いていれば、気が紛れていた。
それが、今は完全在宅で、しゃべる人もいないので、自分で自分が心配になる。

そして末期患者家族の心情。
・全身状態の悪化は避けられないだろう。ほんとに最後が近ければ早く退院させて、家で過ごさせたい
・死に近づいていく状況と実際自分が向き合えるのか
・長引くようなら、退院後はどこか施設?
というあたりで今は揺れている。

「いろいろ揺れて当然」
末期患者さんの家族に、自分がよく言ってた言葉が今ブーメランのように返ってきている。

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