人はおよそ10秒しか作品を見ていない。
8月最後の日曜日。
青い空に鰯雲が浮かび、涼しい風が夏盛りの頃に比べて覇気を失った蝉の声を運んでくる。坂の上の木陰を歩くと、陽に照らされた眩い街景色が眼下に広がり、なんだか爽やかで気持ちよくて鼻歌を口ずさんでしまう。
夏の終わりの序章という言葉がしっくりくる、そんな日にひとり、豊田市美術館の「みる×かんがえる×つたえる」鑑賞会に参加した。
作品は、若林奮の「樹皮と空地ー桐の樹」(2002)。
20名ほどの参加者と50分間、1つの作品を通して繋がる。
名前も年齢も肩書きも知らない人達と作品への感じ方を共有し、理解できなかったり、共感したり、面白がったり。
見方も感じ方も疑問点も様々。正解も間違いも良いも悪いも罪も罰もなく、自由で気ままでありのままでいい。
ただただ、作品を見て、感じて、考えて、口にするだけ。
最近の自分は生き急ぎすぎている。
日々の仕事に奔走し、限られた休日を充実させようとすればあっという間に日曜日の夜を迎える。暇な時間を何かで埋めようとし、珈琲を淹れたり映画を見るといっても、ある種形骸化された「ゆっくり時間」でしかない。
何もかも忘れて、答えのない抽象的な物事に向き合い、刻み込んだり発散したりする時間を、久しく作れていなかったように思う。
3年ほど前から自ら勝手に唱えている「感受性より感能性」「幅広い視野と多角的な視点」。
大学時代、暇と無駄を心から楽しんでいた時に大切にしていた感覚を、今一度日常生活の中に取り戻すべきだと思わされた鑑賞会だった。
「人はおよそ10秒しかひとつの作品を見ていない。」らしい。
忙しい中にも、小さな関心に立ち止まり、自分自身の中で思考と対話を楽しむ(時に苦しむ)時間を作る余裕をもつ。自分の頭と心を活性化させ、生き生きと瑞々しく太くて甘い幹を育てる。
当面、25歳の目標のひとつに掲げたい。
ー2022年8月28日 @豊田市美術館の庭のベンチ
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