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休職というのは、体と心に正直になる練習期間なのかもしれない。


2つ先の県のアウトレットまでお出かけしようか。
いや、夫が見たがっていた映画を見に行こうか。

前日の夜はそんなことを考えていたのに、(そしてそんなことを考えられる自分に少し喜んでいたのに)、朝起きるとどうにもそんな気分にならない。


動きたくない。
人がうじゃうじゃいるところに行きたくない。
パニックになるのが怖い。
色々、選べないのが怖い。
まだまだだめな自分に幻滅するのが、怖い。


せっかくの予定のない土日なのに、何もしたくないなんて。
夫や子供たちも、いい加減こんな私にうんざりしてるだろうな・・・という罪悪感と申し訳なさが止まらない。



結局いつものように実家に行ってご飯でも食べさせてもらうか、と車を走らせる。

「今日もまた、大したことができなくてごめん。夫のやりたいことに乗れなくてごめん。」という私に、「まだそんなこと言ってんの!?」と呆れながらも話してくれた。


「俺にとって(私)が体調や気分が微妙でお出かけできないことなんて、雨が降ったから公園いくのやめよーってくらい、どうでもよくて、なんでもないこと」と。


最初はどういうこと?と思っていたんだけど、
「天気とは違うでしょ。天気は自分ではどうにもできないけど、私の体調は気持ち次第でどうにかなる。私がもうちょっと頑張れば・・・」と言いかけて、何となく夫が言いたかったことに気付く。

「そう、それ!そこだよ!」と夫は言った。


私はこの期に及んでまだ、私の体調や心の調子は、気持ちの持ちようでどうにかなる!と思っていることに、改めて気付かされてしまった。

だれだ、不安障害を「心の病」と言ったヤツは。

「脳の病気」って言ってくれないと、自分でどうにかできると思っちゃうじゃないか。




そして、そうか、私の体調は天気と同じなのか。。。
変えたくても、変えられない。
その日の状態によって、自分の行動を合わせていくしかないのか、なんてことを考える。

雨が降ったから、買い物は明日にしようとか。
今日は晴れたから洗濯を2回まわそうとか。
それと、おなじ。

その日の自分の体調に合わせて、そっちに寄せて行動するほうが、たぶんずっと楽なんだろうなぁ。

だって、変えられないんだから。
天気といっしょなんだから。

雨の日に、「私はきょう晴れてるつもりだったから、がんばる!」なんて言って傘もささずに歩いてたら馬鹿みたいだもんね。




結局実家に行ってお昼ご飯を食べ、おやつ食べながらドラマを見て、動ける範囲でと図書館に行ったりスーパーに行ったりした。
夕方は少し川原をお散歩して、近所の日帰り温泉に行った。

「いや~いい休日だった!」と夫は言った。

そうか、わたしがとても頑張らなくても(まぁ結局ちょっとは頑張って動いちゃったんだけど)、夫はいい休日だったと思ってくれるのかと、少し安心した気持ちになったりした。




予定や、やらなくてはならないことに、自分の体調や気持ちを合わせていく。

そうやって生きてきたし、そうしなきゃいけない場面はこれからもたくさんあると思う。


でも今は、今まで見て見ぬふりをしてきた自分の体や心の状態に向き合って、そっちに寄せて動いてみる練習期間なのだと思っている。
「調子悪い?甘ったれんな!頑張ったら動ける!」
ってムチ打ちすぎちゃってたからね。体や心の状態なんて、無視してた。


幸い大きな予定はないし、自由に動ける時間がある。

少しずつ、自分の気持ちに寄せて動いてみる練習をしようと思う。


冬の朝の凛とした空気もすきだけど、
柔らかい夕方の空気もすき。
きれいだな〜


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