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フリーランスの歩き方|時には金の話をしようじゃないか

チョンキンマンションのタンザニア人

先日友人と他愛ないLINEをしていたところ、友人が唐突に「稼ぎたい、とかそういうモチベーションを口にする人のほうが信用できる」と言い出しました。突然どうした!?と思ったのですが、どうやらとある本に触発されたようで…。

その本は、小川さやか著『チョンキンマンションのボスは知っている アングラ経済の人類学』。

香港のチョンキンマンションで暮らすタンザニア人達の商売に密着したルポで、彼らが自国を遠く離れた地でどのように人脈を広げ、賢く商売をしながらも、互いに付かず離れずの距離を保って合理的なルールを作り上げているのかがよくわかる秀逸な作品です。

端的に言えば、彼らはものすごくシビアな金勘定をするし、儲けることに対して貪欲。一方で同じタンザニア人同士はものすごく助け合う。ビザや住まいの用意から、誰かが死んだ時には金を出し合って国に遺体を送る手配まで。ただ、互いの内心や生活には一切干渉しないし、時に互いをクールに見定めている…

日本に暮らす我々の感覚からすると、「えっそこは助けないんだ!?」「そこはそんなに面倒みるんだ!?」と戸惑うのですが、香港でタンザニア人が商売をするという特殊な状況下で、最低限のインフラと互いの尊厳を維持するために自然と形成されていった、とても合理的なシステムなのでしょう

地方のフリーランスはある意味似ている

日本で普通に会社勤めをしていると、交友関係は仕事上の取引をする関係性と利害関係抜きの完全プライベートな関係性とに分かれるケースは多いかもしれませんが、地方でフリーランスをやっていると、この2つはかなり混在します。

フリーランスの場合、必然的に自分の周りも同じくフリーランスであることが多く、価値観やスケジュールも合うので、仕事で知り合った方と友人として遊んだり飲んだりするようになる場合も多いし、逆に友人として出会った知り合いに仕事の相談や発注をするようになることもよくあります。

この状況は香港で暮らすタンザニア人たちとやや似ていて、会社勤めに比べれば足元の不安定な生活のなかで、まだまだ駆け出しのフリーランスが上手く仕事をやっていくには助け合うことは重要で、シェアオフィスがつくられたりSNSでグループをつくったりするのは、自然発生的なシステムのひとつなのだろうと思います。

ただし私たちは金の話が苦手

ただ、私たち地方のフリーランスが彼らと違うのは「お金の話が苦手」という点です。

私の周りのフリーランスはほとんどがいわゆるクリエイティブ系。さらに女性が多い。決めつけはよくないものの、彼女達の多くが「金の匂いのする話」を避ける傾向にあります。単純に計算が苦手なことに加え、日本人特有の「友人同士でお金の話は品が無い」「人からお金をとることに罪悪感がある」といった、文化的背景や心理的影響があるんじゃないかと感じます。

そりゃ口を開けば金の話ばかりされるのは困りものですが、最低限の利益も確保できないような金額で仕事を受けていたり、仕事の依頼に報酬の話が全く書かれていなかったりすると、「おいおい大丈夫か?」「この依頼手伝うべきか?」という不安も生まれます。

この部分が、どうもチョンキンマンションのような泥臭さやシビアさが欠ける理由のように感じます。

金の話をしようぜ

私としては、お金の要素が無い仕事の会話はどこか上ずっていてつまらない。具体的な商売のアイディアを、お金というリアリティがないまま話していても、一向に前に進まない。提供したいことと市場のニーズと採算性の歯車が噛み合って、はじめてワクワクが生まれるのだけどなぁ。

冒頭の友人の言葉も、おそらく私と似たような体験があって出てきた感情なのでは無いかと思います。いろいろ多彩なその友人は、期せずしていろんな想いをもった人にサポートを依頼されたりするようなのですが、理念や物語などのふわふわとした言葉を聞きすぎて(それが無いのもダメなのですが)、チョンキンマンションの超現実にガツンと胸打たれたのだろうと想像します。

私自身も決して計算が得意なわけでも、複雑な会計がわかるわけでも無いし、金の話をしたところで稼げることが保証されてるわけでも無いのですが、もう少しお金という名のリアリティを身につけられたら我々かなりいいセンいくんじゃないかとも思うんですけどね。

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