あの日のこと
3.11
私にとって忘れられない日
生涯、今のところただ1人、消えてしまった友達がいる。
りさという名の可愛くて闇のある子だった。
出会ったのはネット上で、3.11の前にわたしは病に倒れた。彼女は仙台に住んでいた。
ある日、素知らぬ顔で東京に遊びに来るような、そんな優しい子だった。
あの日、彼女は家族を失った。無惨なほどに、失った。
彼女は一人娘で、たまたま両親が好きだからと、気分転換に海に出かけてしまった。無事だった筈の両親が、どこにも居ないことは彼女を絶望に陥れたのだろう。
電波のない状況で辛うじて繋がった電話の先で、
彼女がどうしよう。パパとママがいない。車がないの。海に行ったかもしれない。
当時、東京と仙台を行き来していた彼女が、どちらに居るのか分からなかったのだけれど、それでわかった。東京にいないのだと。
結局、お父さんもお母さんも見つからず。車のナンバーだけが後日見つかった。
避難所生活は彼女の家族を奪った。愛犬かストレスでおかしくなってしまったのだ。
ゆみちゃん、〇〇がおかしいの。
彼女は東京に出るバスに直ぐ乗り、愛犬を救おうとした。でもそれも無惨に潰された。彼女は1人になってしまった。
彼女は、徐々に音を立てておかしくなっていった。夜の仕事をしていたのだが、そこで無理をしていたからか。休日は誰とも話したくないとよく言っていた。人間が嫌いとも。時には無理なダイエットをして入院してしまうようなストイックな
そんな子だった。
私のせいで地震が起きたの彼女は言っていた。良家の生まれだったけれど、自由奔放に彼女は生きていたし、両親もそれを良しとした。家族仲良く暮らしていた。
ちゃんも働かないで夜の仕事なんてするからだと。だから、パパとママが愛犬が死んだし、地震も起きたのだと言っていた。彼女はどんどんおかしくなって、病院に行くようになっていたし、私もできる限り、外に連れ出していた。自分を呪い、攻め続けていた。
もう覚えていないけれど、何回か目の夏のある日、外が晴れていた昼下がりの午後
彼女から電話がかかってきていた。
国試の勉強で忙しくて、でも折り返した先で彼女は気分が良さそうに前向きなことを言っていた。
でも。それから。彼女の行方はわからない。年月が経て、今もなお分からない。
私の中で、死んでしまったのではないかと思っている。
私は今でも彼女のことは忘れられない。私にとって大切な思い出であり、かけらだから。
いつだか、付き合っていた人に、仕事辞めて実家に帰れと言われたことがある。私はそれに憤慨した、私の人生に関わってきた一人一人がいて、今があり私がいる。それを軽率に捨てろだなんてわたしは許せなかった。
人生は長く短い
愛し尽くすには短く、呪い抜くには長過ぎる。
その短過ぎる中で、出会ったのはあの子を忘れられない。
3.11は、私の中に生きている。
あの日、罪もなく奪われた命に祈りを。
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