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足りないものを知る意味

正解が欲しい。
成功が欲しい。
確実なやり方が欲しい。

そこに、
豊かさや幸せがあると、
思っていたから。

でも、
仲間と旅をしていて気づいたんだ。

旅を終えた後に、
身体中の細胞が記憶しているのは、

“うまくいった結果”
ではなくて、
うまくいったりいかなかったり
しながら、仲間と物語を紡ぐ
その過程だった。

山登り山頂50m手前での突風、
四つん這いにならないと、
吹き飛ばされそう。

計画していた、山頂でのんびり山ご飯なんて、
とてもじゃないけど無理。

思っていた結果ではないけれど、
その中で友人と交わした試行錯誤が、
細胞という記憶に刻まれている。



旅の途中、川辺でのんびりするはずが
ついて間もなく石砂利にハマり、空回りする車。

炎天下、汗だくになりながら、
1時間の戦いの末、奇跡の脱出。

その後に入る、冷たい川の、
半端ない気持ちよさ。


わたしたちは、
何をそんなに急いでいるんだろうか。

わたしたちは、
何をそんなに持とうとしているんだろうか。

少し立ち止まって考えたい。

もう、両手にいっぱい抱えているのに、
まだ、持とうとしていないか。

すぐそこに手に入るものがあるのに、
遠くばかりをみていないか。

正解なんて五万とあるのに、
たったひとつの正解にこだわっていないか。


旅をしていて気づいたんだ。

豊かさは自分の手でつくり出していくんだと。

物を手にするから豊かになるんじゃない。
物を大切にしようとするから豊かになるんだ。

お金をに手にするから豊かになるんじゃない。
お金を持てる自分に気づくから豊かになるんだ。

人に囲まれているから豊かになるんじゃない。
たったひとり、心が通うから豊かになるんだ。


ほとんどの人が、
いつでも、豊かさを生み出せることを一旦忘れて、
何かを置き去りにして、何かを追いかける。

そして、ある時気づく。

「あれ。何だか、違う気がする。」
と。

だけど、実はその過程ですらも大切で、
ないものを見るから、あるものに気づく。

そうやって、
わたしたちは、大切なものを忘れたり思い出したりしながら、
人生の豊かさについて考えているのかもしれない。

そして、そのプロセスそのものが、
人生の豊かさなのかもしれない。

yuminakagaki

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