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表現することは 絶対的な安心感があるからできる。

アート好きだったけど

自信を持ってアートを発信できるようになったのは

やっぱり自分を自分で絶対的に肯定できるようになってから。


本当に好きなこと程

表現するのが怖い気がします。


だってそこで否定されたくない。

周りには自分よりも

優れた人がたくさんいる中で

自信を持って表現なんて

そんなことできない。

本当に好きなことを自分の中で失うのが怖いから

それなら隠してた方が楽なのでね。


でも

優れてるとかどかかとか

レベルとか評価とか

もうそんなん意味ないって

自分が自分であること

そこに価値とオリジナリティーがあり

わたしがわたしになればなるほど

本当の豊かさがある。


みんな違ってみんないい。

個性もアートなんだって

そうふに落とせて

自分をゆるして、満たせるようになってから

アートについて語ることができるようになった。


本当に好きなことだからこそ

怖いんだよね。


今でも鮮明に記憶に残っているんだけれど

小学校3年生だったと思う。


将来の夢を書いて教室に貼らないといけなかった。

”画家”って書いたの。

めちゃめちゃワクワクしたけど怖かった。。。

書いてみて、わたしは画家なんかになれない。って思って

それ以来書くことはなかった。


ちょうどその年齢の頃

画家って特別な才能がある人しかなってはいけない。

画家になっても生きていけない。

的な集合意識が自分の中に入ってきたんだよね。。


あれってもったいなかったな〜〜

あのまま、職業とかどうとかじゃなくって

単純に絵を描くことを楽しみていたら

わたしが今やっている

アート教室のようなコンセプトの教室に出会えてたら

そう言う環境があったなら

画家と言う言葉は

もっと身近だっただろうと思う。


でも、そういう道を進めなかったからこそ

今のわたしがいるし

そう言う道に進まず

他に経験したいこともたくさんあったんだと思う。


実際に大学はデザイン科でも

デザインの勉強なんて二の次で

海外思考だったからね。笑


やりたいことなんて無限にあり・・・

色んなことをやりながらでも

ずっとアートやデザイン、

表現はわたしについてきてて。。


色んなことやった上で

わたしがわたしの輪郭をはっきりさせ

アートを使って表現したいことが

生まれたんだと思う。

アートは方法なんだとわかった。


ここ数年前に

本当は画家になりたいってわかって。

画家って言葉が好きなの!


職業としての画家じゃなくって

本当に純粋に絵を描きたいって

そう言うことなんだけど。


本来画家ってそう言うものなんだろね。


絵を描くことに没頭する時間

絵を描くと言うより

色と遊ぶ時間かな・・・

そんな時間を生活の中に入れていきたい。

自然に絵を描くことを楽しいって

ただ感じていたい。

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それで子どものクレヨンでこんな風に遊んでた。

たった10分で描いた作品

自分でも綺麗だなって惚れ惚れした。


だけど

そんな絵を売って欲しいって方が現れて

ゆうみさんの絵見てると

心が満たされるって・・・


あ〜〜

本当にこれで良いんだと思ったの。

ただただ自分の感性のままでいって。。


それで絵を描いて

画家です。って言っても良いんだって

そう思えた。


フランスの画家さんたちをみてても

そう思えたし。


色んなとこから

あなたはあなたのままで良いんだよ、

そのまんまで表現して良いんだよ、

そう言われてるきがする。


話は戻るけれど

表現することは

絶対的な安心感がないとできないんですよね。

最終的に

自分が自分に対して安心させてあげる

なんだろなって思う。


うちのアーティストな娘も

家での表現力はまだ外の世界で生かしていません。

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【彼女が5歳の時に描いた絵】

もう何年ぶりだったのだろう鉛筆画・・

30分くらいで描けたから自分でも驚き・・

絵に残すって良いよね。


6歳になったばかり、

そんな姿を見ていると

こうやって人間は

安心できる世界で表現をすることからはじめ

練習して

どんどん外に出ていくんだなって思います。




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