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愛と感謝と脱皮

「ナースログ」という言葉をふと思い出していた。

「看護する木」とは、森の中の樹木が何らかの理由で倒れ、地面に横たわると、時とともに朽ち大地の栄養になり、虫や鳥やそこに生きる動物たちを養い、森を豊かにして、その木からも芽吹きまた再生し、川も豊かになり、流れ込む海も豊かにする。倒れた木は無駄なものではなく森をケアしているというような事だったと記憶している。

それを知ったのは、夫の大好きな作家、今は亡き開高健の言葉からだった。

19、20才の頃、私は訳の分からないアートやら映画などを好むインドア派で、出歩くと言ったら、夜な夜な友達と飲んだり踊ったりしてる様な、まぁどちらかというと、人生をなんとなく捉え、自意識過剰の認識不足を地で生きている女子だった。

そんな女子が、真逆のアウトドアな夫と出会い、初めてその言葉を知った時、ミラーボール越しの夜の世界の向こうに、シーンと静まり返った、透き通った空気の森の、どっしりと揺らぎない姿、「生命の全て」があるのが見えた。

良いも悪いもないただそこにある、終わりも始まりもない繋がり、澱みない流れに委ねた、エターナルな愛と感謝の世界が。

今までの私には見えていなかったものが、突然、コントラスト強めに顕になった。
それは、頭ではなくて私の目の奥行にバーーンッと広がった印象だった。


まるで、知る前のワタシを脱ぎ捨て、違うワタシに脱皮したような感覚を覚えた。

でもなんで「ナースログ」のワードが浮かんだのだろうか。
それは忘れてしまったけど。



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