政治家と政治屋の違い を 超人とルサンチマンで例える

石丸伸二さんと吉村洋文さんのリハックでの対談。
とてもよかった。

そもそも私は石丸さん言うところの
「政治屋の一掃」に大賛成している。

どうしてこうも日本は政治屋が強いのか?

それは国民一人ひとりに「見極める目」が無いひとの方が多いからだろうと思う。

政治家と政治屋。

政治家は→国や国民のための政治、政策本位、中身重視、国の危機が見える、等
政を治める方に明るいということでしょう。

政治屋は→ 政治のための政治、党利党略、自分(保身)第一…と、
視野が狭く国のことまで見通せないと言うことでしょう。

政治家と政治屋を
ニーチェの言う超人とルサンチマンに分けたとしたら、
この対談は超人同士でしかもアウフヘーベンしてる。
少なくとも一つは新しい発想が生まれている。

政治の場ってこれが必要でしょ?
超人同士の対話からのアウフヘーベン。

超人同士なら意見が違ってもらっても多いに結構で、
そこの対立があって初めて(ひとりではできない)新しいものが生まれる。

それは見ている方(観客)にも伝わって、
あーそうか!と気づきに変わっていくものだから。

ところが、ルサンチマンが入ると、
対立が単なる否定や足を引っ張るという行為になるので、
超人を舞台から引きずり下ろすことが目的になるので、
良い結果になりようが無い🗾

あ、政治家はその立場自体で超人(強者)じゃないかと
言いたい人もいるかもだけど、
これは心の問題なので、
政治屋は完全にルサンチマン(弱者)です。

大きい舞台に立ちながら、
心はルサンチマン…
そんなひとがうじゃうじゃいるとか、
一番あっちゃいけない事態。

表に立っているひとがそうだと
国民もそんなひとが増えていく。
そりゃそうでしょう。見本が無いのだもの。
にんげんだもの。

このおふたりは、超人でありながら、や、超人だから、
正直さ、賢さ、素直さ、謙虚さ、繊細さ、フェアさ、ユーモアまである。
そして、何より政治に明るい。

この対談に出てくるように、
真の政治家たちの党が政権を担う日本を見てみたい。
と超ワクワクした。

私が応援するひとは、そういうひとたちなのだけど、

たとえば「三浦瑠麗さん」を好きだというと、
有名で美人でセレブで東大だから憧れてるんじゃないか…
とか勘ぐるひといるけど、
わたし、そんな趣味無いし。。

そんな表層的なところで人を判断しない。
そういうひとは自分がそうだから他人もそうなのだと思い込むようなひとたちなのはわかってる。

三浦さんを好きなのは、
どこにいても誰に対しても、正直で、自分の言葉で自分の意見を伝えてるところ。
そして何よりフェアであろうとしてる姿は感動的でさえある。

大切なのは意見の中身ではなく、
正直な自分自身の意見だというところ。
そうであれば対立したとしても、じゃあどうしよう…とか
アウフヘーベンする可能性が出てくるから。

彼女の活躍の足を引っ張ったのはルサンチマンでしょう。
マスコミの中にいる、そしてそこに扇動されてるルサンチマン。

能力のあるひとの足を引っ張ってはいけない。
それは日本の未来のためにならないから。

そのためには、自分の中のルサンチマンに気づくことからはじめる。
そしてきちんと解消解決すること。(←これについてはまた後日)
すると、他人の中のルサンチマンも見えるから。
それに振り回されることをなくしていき、
自分の中の真の超人性に触れていこうとする。

自分の心が平らに和めなければ。
世界の平和も望めない。

がんばろう日本🇯🇵


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