主体性を育てる
僕は、鈴木悠平さんや、榎本大貴さんたちがやっておられるlitalico open labが大好きで、第1回から全てに出席しています。登壇者の方々が多彩で個性的で、知らなかった世界を教えてもらえますし、それぞれが困難のなかで生きて来られたお話を肉声で聞くと、その体験や思想や希望が体に入って来るような感覚があり、目を開かされたり、後から言葉になるといった経験があります。
そのopen labに昨年8月に登壇された明星大学の岩本友規先生は、その時は言葉を交わした訳ではなく、講演を伺った時は、正直、しっかり理解できずにおりました。しかし、最近になって、先生がユメソダテに興味を持って下さり、ご連絡を下さり、わざわざ訪ねてきてくださいました。ほんの2時間ほど意見交換をさせて頂いただけなのですが、僭越ながら、私たちは同志なんだと、膝を打ちました。
先生は、自らの経験を出発点に、発達障害のある人に主体的な自己が発達すると、就労継続されやすいという気づきから、主体性に必要な条件などを研究されています。
先生は、一人一人が、自らの感情・経験と、社会から期待される役割との折り合いをつけていくプロセスにおいて、社会からの期待に埋もれてしまいがちになる中で、自らの感情・経験を大切にしていかないと主体的になれないとおっしゃっていました。ご自身のご経験と内省から出発された思いで、僕自身も就職・上京当時、同じことを感じましたし、多くの人が共有している感覚だと思います。
また、先生は、主体性を支える4条件を挙げておられて、①高次の目的、②他者・社会とのかかわり、③固有の認識論、④メタ認知というものを挙げておられます。これらも、いずれも大切なことで、なるほど、なるほどと膝を打つとともに、問題意識が共通していて、同じことを考えている方に出会えて、とっても幸せな気持ちになりました。
いくつか違いもあります。ユメソダテは理論的な研究はしておらず、一人一人の具体的な人生に寄り添う活動をしているところや、就労だけを目標にしているわけではないこともちょっと違うところですし、先生があげられた4つの条件に、優先劣後関係があるように考えているところがあります。これを機会に少し言葉にしてみます。
ユメソダテ活動の中では、社会的役割に埋没してしまって自らの感情・経験を見失っている人もいれば、逆に社会的役割を見いだせない方々もかなりおられます。
社会的役割ばかりになると、つまらない大人になりますし、自らの感情・経験一辺倒だと、独りよがりになって、人間関係が育たなくなります。
ですから、ユメも主体性も、ユメソダテのロゴマーク(ユメソダテ君)の笑顔がのった陰陽の玉のように、両者のバランスが大切であるように思います。
また岩本先生の4条件に沿って、自分たちの活動を考えてみますと、②他者・社会とのかかわりをとても重視しています。対象者の人生を一緒に振り返る傾聴活動を通じて、利己的でも低次元でも構わないから、何かユメのタネを見つけて、他者・社会とのかかわりを豊かにする伴走から始めています。
というのも目標とかユメというのは、人間関係や社会経験が豊富になってくると、自分の中で、どんどん生まれ変わって、再定義され高次元になったり、利他的になったりしていくものだと考えているからです。
家族と上手くいっていない、友人がいない、信頼できる大人がいないなど、いわゆる世間がとても狭い孤独な人を、自身のユメのタネに関係する人と繋いで世間を拡げたり、いろいろな経験を一緒にすることで、社会性を媒介することができます。
他方、知的障がいがあったり、認知に凸凹がある発達障がいや精神障がいのある人には、③固有の認識が発達していなかったり、④メタ認知ができない人がいます。そのような方には、これまで、Feuersteinといった体系だったコグトレの先祖のような方法でアプローチすることが効果を上げてきていますし、ものの見方が変わっていく体験を積み重ねてもらい、伴走者=媒介者の視点を自らの中に取り込んでもらうというプロセスをとっています。
長い話を要約すると、私は岩本先生の研究成果をとっても支持しています。もっともっといろいろな人に知られて欲しいと応援しています。
そして、そのような理論を具体化する方法としては、4条件のうちの2番目、他者・社会との関りを豊かにすることに最初に取り組むことが、多くの場合、良い入り口になると考えています。
孤独では何ともならないと思います。
そして、そこに私たち普通の大人の出番があると思います。
私は、我が国の福祉の考え方の底流には、未だに、「与えるが分離する」という考え方があると感じています。優生保護法が廃止されても、社会の構造の中に分離思想のDNAが今も生きています。そしてこの分離社会が、障がいのある人からも、ない人からも、社会の問題に向き合う主体性が育つ機会を奪っているように感じています。
このことに気づいている福祉分野の多くの先人たちが、ごちゃ混ぜ社会にしようよと訴え行動されて来られたのだし、私も、この思想の系譜の中にいます。
私たちユメソダテも、岩本先生も、アンチ分離社会主義者として、同じ戦いを戦っている仲間だなと、勝手に思っています。
これからも思いを同じくする方々と、繋がって、分離社会を変えていきたいと、切に願っています。