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マイライフ:第16章:「汎用CADと退職と再就職」

いわゆる電子製図ですが、CADが本格的に
普及し、パソコンに設置されるようになりました。

わたしは昔は手書きによる製図と
電算のソフト開発に携わっていた関係上
CADにはまったくうとかったのですね。
しかし、テクノロジーの変化について
いけないものは淘汰されます。

そして時代は流れ、
本社から整理係の本部長が来訪し
ついに余剰人員の宣告。
そのリストには私の名前も入っていました。
私は心の中で
「わしは所長とともにこの出張所を立て直した立役者の一員だぞ」
とさけんだのですが、そんなことは
お構いなし
ついに2003年55歳で退職
 
まだ定年まで5年を残していたので
当然、ハローワークに登録して
職探しをしました。
しかし、55歳の年齢という壁は
予想以上に厚かったようです。
例えば事務系を希望すると
ハローワークの担当者から
言われたものです。
「あなたね、事務というのはお茶くみ
もするのですよ。
50過ぎたおじさんと、若い女性が
お茶をだしたら、お客様は
どちらがよろこびますか?
あなたの年では事務は無理ですよ」
あとはブルー系ですが、
これも55歳という年齢の壁がありました。
要するに適職が無いのです。
 
途方に暮れる毎日を過ごしていたある日
私の携帯に着信がありました。
それはなんと新会社に移籍した
分裂時に割と仲の良かったNさんからでした。
私の退職の噂を聞きつけたらしく
元の会社に私の連絡先を聞いたうえで
連絡をしてくれたのですね。
 
「Oよ、俺の会社に来い、おれが斡旋してやる
履歴書と資格証明書をもって、O日O時に来い」
という案内でした。
私は「RCCMトンネル部門」という資格を
持っていました。
この資格は、土木業界以外では
全く通用しない資格です。
新会社は「RCCM資格保有者」の数を
増やしたかったようです。
 
社長(元東京出張所長)は、
「給与月額30万、ボーナスなし
有給休暇5日、1年毎更新の契約社員で契約する。」
ということでとりあえずホッとするとともに
社長にももちろんNさんにも感謝しています。
第2の恩人ですね。
 
 
添付画像はハローワークがあった飯能市

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